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ikutama

自分の判断軸がないと、GNOが疎かになる。 義理は有形無形の人との約束。人情は相手を思う心。恩返しは、相手の利益になる事を返す。GNOは決して一人では成立しない。人間関係は、行動である。そして行動には結果が生じる。 GNOを丁寧に対応することで、自分の原基を知ることができる。 755での私にとっての義理は、リトークの感想を書くこと。人情は、明瞭かつ短く書くこと。そしていつか恩返しできるようになりたい。

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ikutamaのトーク
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  • ikutama
    見城徹見城徹

    26年前に角川書店を辞めた。徒手空拳で幻冬舎を四谷2丁目の雑居ビルに設立した。あの頃はなーんにもなかった。それが爽快だった。ガランとした会社の冷蔵庫に白ワインだけが冷えていた。
    最近、年下の友人が広告会社を設立した。幻冬舎が最初にあったすぐ近くの雑居ビルだ。禿鷹広告社というユニークな名前だ。名前は僕が付けた。

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  • ikutama
    ikutama

    義理を果たすために、徒手空拳で再スタートする。手放すとは使い切ることなのかもしれない。終わりは、何かの始まりでもある。
    禿鷹広告社、驚き、凄みととに並々ならぬ覚悟を感じる。待つことを捨て、獲る。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    藪医師とは僕がやり始めたばかりの755で知り合った。ただ熱心に755に投稿する都立駒込病院の無名の外科医だった。毎日のように午前中は消化器(特に大腸)の悪性腫瘍の手術をし、午後の診療勤務が終われば時にかなりの量の酒を飲み、それ以外は原稿を書いることが755から伝わって来た。僕のトークにやじコメして来ていて、僕も返信していたのだが、ある日、原稿を送りたいと言って来た。やむなく了承し、読んでみると書かずにはいられないものを抱えていることがよく解った。これはモノになると直感した。幻冬舎に来てもらって初めて会い、その原稿を手直しの上、出版することになった。それが[幸せの死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと]という藪医師こと中山佑次郎のデビュー作になった。その後、ベストセラーとなった[医者の本音]や処女小説[泣くな 研修医]などを矢継ぎ早に出版、医師としても福島県双葉郡の高野病院の院長を経て、今は福島県郡山市の総合南東北病院の外科医長として活躍している。藪医師と僕の関係は755がなければ成立しなかった。藪医師の結婚披露宴では僕が新郎側の主賓としてスピーチをした。
    755の奇跡だと僕は思っている。

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  • ikutama
    ikutama

    「書かずにはいられない」。誰もが何かを抱えている。何かを“せずにはいられない”。普通は「少し書き」、他のこともしてバランスを取る。「書かずにはいられない人」は、代替手段を持たず、書くことでしか救われない。それは読む人がいなければ続かない。
    「書かずに自分と他人を救えること」。これは幸せなことなんだと気づかされる。しかし、そこに覚悟の差が生まれるのだろう。書く人と書かない人、どちらかだけが苦しめばいい、そんなはずは無い。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    狂ってしか出来ないことがある。いや、本当はそんなことばかりだ。無難にやったら無難な結果しか出ない。この2、3日ある人とラインで大量に話していてそれを痛感させられた。僕も相当狂っているつもりだが、その人は僕の比ではない。まだまだ僕は鈍(なま)っている。何かを成し得る人は誰もがリスクを取って、狂ったように前に進む。出来るか?出来ないか?ではない。やるか?やらないか?だ。鮮やかな結果はその先にある。

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  • ikutama
    ikutama

    「無難な結末」を出す。驚きや感動は無いが、期待に応え続ける。これは基本。問題は“自分の満足が続くか”。技術が向上した時に「もっといい仕事をし、もっと喜ばせ、感動させたい。」と思うかどうか。“今の立場”を他人に譲って、ファーストペンギンとなる。誰が強いるでも無いことを自ら行う、これが世の中を一歩発展させる。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    [天よ、百難をわれに与えよ]と言ったのは中国の後漢末の武将・曹操孟徳だったか?
    百難を一つ一つ捩伏せてやる。辛くて苦しくて逃げたいけど、そう言い聞かせて立ち上がるしかない。曹操孟徳の言葉は[奸雄たらずとも、必ず天下の一雄になってみせる]と続く。僕は天下の一雄になるなんて興味も実力もないけど、社員と友と仕事のためには百難を引き受ける。

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  • ikutama
    ikutama

    「百難与えよ」。昔から時々聞く言葉だが、子供の頃は全く理解できなかったが、大好きなばぁちやんが年老いていき、苦しむ姿をみた時、自然とそう祈るようになった。祖母は103歳でまだ生きている。天に感謝している。
    日本赤軍の奥平剛士は「天よ、我に仕事を与えたまえ」と言ったという。何かを守るために、人はそれぞれ戦う。
    自分を守ろうとすれば、生きること自体が苦しくなる。苦しみをどう受け入れるのか。
    自分の苦しみが決して無駄ではないと思える言葉を探し続けている。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    自分で汗をかきましょう。
    手柄は人に渡しましょう。
    そして、それを忘れましょう。

    最初の2行は竹下登元首相の言葉。最後の1行は氏家齊一郎日本テレビ元会長が加えた言葉だ。
    この3行が胸に沁みる今日この頃。

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  • ikutama
    ikutama

    竹下登(元首相)と氏家齊一郎(元日本テレビ社長)。
    「若い頃程、動かなくても高く評価されるようになった。後進を助けても恩知らずが多くて続かない」。そんな心境だろうか。一流の更に先にある境地。いつでも第一線に出る覚悟、仲間を育てる優しさ、そして潔さを感じる。