
ikutamaのトーク
トーク情報ikutama 久々原仁介久々原仁介 ikutama様
こんばんは。KRY山口放送まで見ていただけたこと、そしてあの短い時間の中にある想いを、ここまで丁寧に汲み取っていただけたこと本当に、ありがとうございます。
下関の海で育った自分が、別の海の出来事を書くということには、ずっと迷いとためらいがありました。おっしゃる通り、そこにはどうしても拭えない自己嫌悪や、言葉にしていいのかという葛藤がありました。それでも書いたのは、あの「距離」と「届かなさ」を、どうしても形にしたかったからだと思います。
誰も望んではいないのかもしれません。それでも僕は、伝える責任を負いたいと思いました。
それと同時に僕は弱い人間であり、この弱さを克服しようとしない卑怯な人間なのだと思っています。
この弱さを見てくれ、弱いまま生きる僕を正面から見てほしい。そんな僕自身の大人になりきれない感情が物語には散らばっていると思います。
響け。
届け。
この叫びを。
このうえない衝動を。
読んでほしい。僕は人に一緒の時間を歩んでほしいなんて、言うことができない人間だから。せめて僕の心だけは、あなたの本棚に入れてほしいと願うんです。
それが僕の精一杯の生き方なんです。
次回作についても触れていただき、ありがとうございます。
「孤独」をどう捉えるかは、これからも自分の中で向き合い続けるテーマだと思っています。
構想を少しずつ組み立てますので次回作もぜひよろしくお願いします🙇
久々原仁介ikutama 久々原仁介久々原仁介 ![投稿画像]()
小説を書くということについて。
小説を書くという行為は、誰かに評価されるためだけのものではないと思っている。むしろ、自分でも持て余してしまう感情や、うまく言葉にできなかった記憶や後悔を、どうにかしてこの世界に残そうとする行為に近い。しかしその表現方法もよく考えると、正しいものではないような気がする。僕にとって執筆は世間に対して顔向けしづらい、なんだか後ろめたさを煮詰めた爆弾のようなものに近い。
楽しいから書く、という瞬間ももちろんある。けれど実際には、それだけでは続かない。書かずにはいられない何かがあるから、時間を削ってでも向き合ってしまう。時間とは、人生そのものだ。この時間があれば、両親にもっと親孝行できるのかもしれない。仕事に打ち込めて出世できるかもしれない。大切な人たちと向き合えるかもしれない。
そんな大切な時間になり得たかもしれない。
けれど書いている間だけは、自分の弱さや醜ささえも肯定できる気がする。
だから小説は、とても不器用な表現だと思う。遠回りで、時間もかかるし、読まれる保証もない。それでもなお、誰か一人に届くかもしれないと信じて書く。その“かもしれない”に、自分の時間や人生を賭けている。
もし読んでくれる人がいるのなら、その人の中にほんの少しでも何かが残ってくれたらいい。それが救いになるのか、傷になるのかはわからないけれど、それでも確かに触れた証として。
書くということは、世界とつながろうとする、ささやかな抵抗なのだと思う。
