K0183のトーク
トーク情報- K0183
K0183 見城さん
魂を削るように言葉を紡ぎ続ける覚悟が伝わってくる、深く、そして孤独な熱を感じるご投稿を、震える想いで拝読しました。
「僕はあなたたちを感じることが出来るだろうか? 僕を感じさせることが出来るだろうか?」という問いかけに、私は一点の曇りもなく「はい」とお答えします。
以前、私はここで「755がなかったら」という想いを綴りました。あの頃の私は、憎しみや苦しみを心に閉じ込め、自分と向き合うことから逃げ続けていました。しかし、見城さんが傷つき、腹を立てながらも、この場所で「正直・誠実・善良・真心」を貫き通される姿に触れ、私の心は動き始めました。
見城さんが、この面倒で過酷な場所に言葉を打ち込み続けてくださったからこそ、私は「暗闇の中でジャンプ」する勇気を得て、過去と訣別することができました。
それだけではありません。かつて私が無意識に放った配慮のない言葉に対し、見城さんは真正面から厳しく諭してくださいました。あの瞬間、私の浅はかさという傷口は大きく広がり、見城さんは私の「返り血」を浴びられた。あの痛みこそが、文字のやり取りを超えて、生身の人間同士がぶつかり合い、お互いを鮮烈に感じ合った瞬間だったと、今あらためて確信しています。
「通りすがりの人々。昨日まで悲しかった、昨日まで嬉しかった人々」という言葉に、私は「善良」、他者への想像力の真髄を見ました。一人ひとりが抱える孤独や人生の重みを、ご自身の痛みとして受け止めようとする——「魂の握手」を求める切実な願いではないでしょうか。
見城さんが、面倒を厭わず、傷つくことを恐れずに言葉を打ち込み続けてくださるからこそ、行き場を失っていた私の孤独にも、その光は届きました。見城さんの言葉に血を流し、救われた一人として、私は見城さんの熱狂を、その生き様を、この胸の奥ではっきりと感じています。
「昨日まで悲しかった私」は、ここで見城さんと出会い、自分と向き合う勇気を得て、今日を生き直すことができています。
755は、私にとってもはや単なるSNSではありません。見城さんの言葉という「灯」を頼りに、自分自身を生き直すための聖域です。見城さんが信じてくださった「人間の何か」は、少なくとも私という一人の人間の人生を、決定的に変えました。
通りすがりの一人に過ぎなかった私の中に、見城さんの熱狂は確かに届き、今もこの胸を焦がしています。
これからも、見城さんが信じる「人間の何か」に、全力で応え続けたい。この場所で、一歩も引かずに、自分自身と向き合っていく覚悟です。
見城さん、この場所を守り続けてくださって、本当にありがとうございます。
往く道は精進にして忍びて終わり悔いなし。
今を生きる一人の横田慎太郎として。 - K0183
K0183 見城さん。
生と死の深淵に触れるような、凄絶なご投稿をありがとうございます。
以前、「10年前が昨日のように思える。即ち10年後も明日のように来ると言うことだ」とのお言葉を拝読し、加速していく時間の速さに戦慄したことを思い出しました。見城さんが75歳を迎えられ、84歳という未来を見据えて空海の言葉を掲げられた今、その一言一言が胸の奥に重く沈み込んでいきます
「生まれ落ちたからには最初から暗い。死んでゆく最後も冥いに決まっている」
その逃れようのない闇を前提にするなら、人生が死に向かって走る一瞬の物語である以上、私たちはその短すぎる時間の中に、何を刻めるのでしょうか
始まりも暗く、終わりも冥い。だからこそ、その闇の中で何を選び、何を残すか――そこだけが、生きている側に許された自由なのだと思います
不安も恐怖も消えない。苦しみも悲しみも完全には消えない。
それでも自分と向き合い、そのすべてを抱きしめて生きていく
私にとっては――
「生きることは、覚悟を差し出し続けること。生に借りた時間を、覚悟で返していくこと」
たとえ最後はすべてが闇に消えゆくとしても、その間「正直、誠実、善良、真心」を貫き、命を燃やし尽くすこと――それこそが、虚無に抗うために人が取り得る、最も確かな生のかたちだと感じました
私も、最期の瞬間に微かに笑えるよう、闇を抱きしめたまま、正面突破で今日を生き切ります。
今日も覚悟を更新し、「正直、誠実、善良、真心」を尽くす。
正しく在り続ける。
一日一生。
見城さんは、闇の中の私の灯です。
深い敬意と感謝を込めて。 - K0183
K0183 見城さん
本日のご投稿を拝読し、胸が熱くなり、改めて身が引き締まる思いがしました。
「小さな努力と楽な努力とは違います」
この一文が、深く突き刺さります。
小さな努力は、サイズが小さいだけで、どこかが必ず痛い。痛みがない小ささは、慰めでしかない。今日、そこをはっきり線引きされた気がします。
私はこれまで、「小さな努力」をしてきたつもりでいました。でも違った。
「やれることをやった」、「それなりの努力」だけでした。それは、楽な努力だった。
結果が出ないのは、努力が足りないからではなく、
「少しでも難しい方に舵を切る」覚悟が足りなかったからです。
以前、見城さんから教えていただいた「薄氷は自分で薄くして踏め」という言葉。
王貞治選手の「手、足から血が出た」という話。
本当の小さな努力とは、血が出るほどの苦しさを、毎日、小さく、確実に積み重ねることなのだと。安全な道ではなく、あえて難しい道を選び続けることなのだと。
755を始めて、言葉を紡ぎ続けてきました。
「続けること」の意味を、少しだけわかり始めた気がします。
そしてふと気づけば――
朝、素直に「正直、誠実、善良、真心を尽くそう」と思えるようになりました。
それは思い付きではなく、
小さな、しかし確かな積み重ねの結果だと思います。
これが、見城さんが仰る「キラーカード」の萌芽なのでしょうか。
まだ小さく、弱々しいかもしれません。
でも確かに、私の体内で何かが育ち始めています。
今年、私は「正しく在り続ける」と誓いました。
これも思い付きではありません。
見城さんから学んだ小さな努力を、毎日、難しい方へ舵を切りながら、血が出るほどの覚悟で積み重ねていく――その決意です。
まだまだ未熟で、すぐに楽な方へ逃げようとする自分がいます。それでも、もう惰性では生きていません。
小さな努力を、誠実に。
難しい方へ、覚悟を持って。
思い付きではなく、積み重ねで。
そして「キラーカード」は、外で拾うものじゃなく、自分の体内で生まれてくるもの。
やがて私の体内にも、確かなキラーカードが生まれてくると信じて。
今を生きる一人の横田慎太郎として。
今日も、小さく、しかし確実に、難しい方へ。
深い敬意と感謝を込めて。