K0183のトーク
トーク情報- K0183
K0183 見城さん。いつもあたたかいお心遣いをありがとうございます。
三上雅博さんがリトークされた2019年9月および本日の見城さんのご投稿を拝読し、感想を添えさせていただきました。
荒涼たる枯野を駆けるのは、単なる夢ではなく、見城さんが命を賭けて生きてこられた一刻一刻そのものなのだと。
その歳月は、ただ長かったのではなく、喘ぎながら、傷つきながら、それでも戦い、人を愛し、友と生き、今日まで辿り着かれたあまりにも苛烈で、美しい日々。
荒涼ではあっても、決して空虚ではない。苛酷な時間を生き抜いた者だけが持つ静かな矜持と、深い諦念と、なお消えない熱を感じました。
そして、微笑して終える。
これほど凄絶で、これほど美しい人生の終え方があるのか。
死を見つめ切った人だけが、ここまで強く「今日」を生きられるのだ。
終わりを見据えることは、ただ諦めることではなく、今この一日を限界まで燃やすための覚悟なのだと。
敗北でも後退でもない。最後の最後まで自分を問い続ける精神の営みの重みとして迫ってきます。
すべてを抱きしめたまま、枯野を駆けめぐり、やがて宇宙に溶けていく。それが「満たされて還る」ということだと。その無は虚無ではない。
生と死、充溢と空無、執着と解脱が、見城さんの中で激しくせめぎ合っている。
どう生きたかが、どう死ぬかに繋がっていく。
その当たり前で、あまりに残酷な真実を、あらためて突きつけられた思いです。
熱烈に生きる。枯野で微笑するために。
その言葉を、私も胸に刻みます。
見城さん。魂を揺さぶる投稿をありがとうございました。
本日もよろしくお願い申し上げます。 - K0183
K0183 見城さん、755の皆さま、おはようございます。
昨日、両親が上京してきた。
母は60年ぶりの東京だ。病気から回復して、想像以上に元気に歩けている。手術を担当したのは、私が大学病院に籍を置いていた頃の先輩で、本当によくやっていただいた。ありがたい。
父は、80歳を目前にして今もなお現役で働いている。甲子園でも何度か優勝した強豪高校の校長を務めた人で、実は私もその卒業生だ。退職後もいろんな団体の顧問、監査、会長などを歴任し、数年前からもうリタイアしたいと漏らすようになった。
本当は今月で完全に退くはずだった。高台から海の見える場所に、静かな時間の準備までしていた。周囲から強く請われ、結局、また1年続けることになった。そんな父を「権力に縋り付いている」と心無く言う人もいるらしい。
だが、私には少しわかる気がする。
亡き師匠も、最後まで現場に立ち続けた。「権力に縋る」のではなく、役割があればそこに踏みとどまるのが、あの世代の矜持なのかもしれない。他人にその重さを測ることはできない。
桜が咲いている。
その下で、60年ぶりに東京へ来た母と歩いた。かつて車椅子を押しながら泣いた私が、今日は母の隣を歩いている。
桜は毎年咲く。でも、同じ景色は二度とない。両親と見る時間は、今日しかない。
一日一生。
本日もよろしくお願い申し上げます。