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K0183

久々原仁介さんがご出演された「王様のブランチ」を拝見しました。 「人との繋がりは見えない。だから気送管という形で見えるようにした」 「指先は嘘をつけない。だからこそ手紙という手段にした」 テレビ越しでも、伝わってくるものがありました。 この物語が、もっと多くの人の心に届きますように。 再現VTRに触れるだけで、映像化への期待が勝手に膨らんでいます。 久々原さんの次の言葉を、楽しみにしています。

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K0183のトーク
トーク情報
  • K0183
    見城徹見城徹

    毎日がいっぱいいっぱいになっている。
    自分にいかほどの価値があるというのか?
    「夢は枯野を駆け廻る」にはまだ早いが、
    [リタイア]という言葉が頭の中を駆け巡る。残された時間を想うと堪らない気持ちになる。せめて自分自身には納得して最後を迎えたい。そのために大切な今。ゼロになることの本当の意味。果てしない無。
    そこに到達出来るか?死ぬことで生きる。満たされて宇宙に還る。永遠のゼロ。

  • K0183
    見城徹見城徹

    夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡 

    旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
                 ーー芭蕉

  • K0183
    見城徹見城徹

    大きな決心をすると当然だが自信と不安が交互にやって来る。今朝の僕は不安の方が大きい。決心しなければ、現状維持でいいから楽だった。12月末で69歳。つまり、69歳でファースト・ペンギンになる。その恐怖と不安を背負い切れるのか?行くしかない。いや、今なら引き返せる。自問自答を繰り返す。
    [どうせ一夜の夢ならば実をも散らして狂うのみ]
    自分に言い聞かせる。人生は最終コーナーを廻った。今、ラストスパートを仕掛けなくて、いつ仕掛けるのか?眠れぬ夜が続く。

  • K0183
    見城徹見城徹

    ↑ おはようございます。
    三上がリトークしてくれた2019年9月の自分の755を読んで、今と全く同じ心境でいたことに驚く。変わってないなあ、
    進歩してないなあ、と切実に思う。
    当時の69歳から現在の75歳へ残酷に時は流れ、自分は未だジタバタしている。
    人に自分の理解を求めるから七転八倒する。自己嫌悪の海で溺れる日々。
    善良・真心・正直・誠実。それだけを胸に刻む。栄光のバックホーム。いつか宇宙に連なる日まで。

  • K0183
    見城徹見城徹

    自分を棄てる。無私無我無欲。人生の最終結論。それが、多分「死」だ。魂の再生。
    天人五衰。「死」を目指して生きる。

  • K0183
    K0183

    見城さん。いつもあたたかいお心遣いをありがとうございます。

    三上雅博さんがリトークされた2019年9月および本日の見城さんのご投稿を拝読し、感想を添えさせていただきました。

    荒涼たる枯野を駆けるのは、単なる夢ではなく、見城さんが命を賭けて生きてこられた一刻一刻そのものなのだと。

    その歳月は、ただ長かったのではなく、喘ぎながら、傷つきながら、それでも戦い、人を愛し、友と生き、今日まで辿り着かれたあまりにも苛烈で、美しい日々。

    荒涼ではあっても、決して空虚ではない。苛酷な時間を生き抜いた者だけが持つ静かな矜持と、深い諦念と、なお消えない熱を感じました。

    そして、微笑して終える。
    これほど凄絶で、これほど美しい人生の終え方があるのか。

    死を見つめ切った人だけが、ここまで強く「今日」を生きられるのだ。
    終わりを見据えることは、ただ諦めることではなく、今この一日を限界まで燃やすための覚悟なのだと。
    敗北でも後退でもない。最後の最後まで自分を問い続ける精神の営みの重みとして迫ってきます。

    すべてを抱きしめたまま、枯野を駆けめぐり、やがて宇宙に溶けていく。それが「満たされて還る」ということだと。その無は虚無ではない。

    生と死、充溢と空無、執着と解脱が、見城さんの中で激しくせめぎ合っている。

    どう生きたかが、どう死ぬかに繋がっていく。
    その当たり前で、あまりに残酷な真実を、あらためて突きつけられた思いです。

    熱烈に生きる。枯野で微笑するために。
    その言葉を、私も胸に刻みます。

    見城さん。魂を揺さぶる投稿をありがとうございました。
    本日もよろしくお願い申し上げます。

  • K0183
    K0183

    見城さん、755の皆さま、おはようございます。

    昨日、両親が上京してきた。

    母は60年ぶりの東京だ。病気から回復して、想像以上に元気に歩けている。手術を担当したのは、私が大学病院に籍を置いていた頃の先輩で、本当によくやっていただいた。ありがたい。

    父は、80歳を目前にして今もなお現役で働いている。甲子園でも何度か優勝した強豪高校の校長を務めた人で、実は私もその卒業生だ。退職後もいろんな団体の顧問、監査、会長などを歴任し、数年前からもうリタイアしたいと漏らすようになった。

    本当は今月で完全に退くはずだった。高台から海の見える場所に、静かな時間の準備までしていた。周囲から強く請われ、結局、また1年続けることになった。そんな父を「権力に縋り付いている」と心無く言う人もいるらしい。

    だが、私には少しわかる気がする。
    亡き師匠も、最後まで現場に立ち続けた。「権力に縋る」のではなく、役割があればそこに踏みとどまるのが、あの世代の矜持なのかもしれない。他人にその重さを測ることはできない。

    桜が咲いている。
    その下で、60年ぶりに東京へ来た母と歩いた。かつて車椅子を押しながら泣いた私が、今日は母の隣を歩いている。
    桜は毎年咲く。でも、同じ景色は二度とない。両親と見る時間は、今日しかない。

    一日一生。
    本日もよろしくお願い申し上げます。