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死ぬために生きる
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『読書という荒野』を読んだ。 デスクに並べられた無数の本。見城さんの覇気、佇まい、着こなし。まずカバーに惹き込まれる。 秋元康さんの帯の言葉も物凄い。 僕は見城さんの本を読み始めて、「読了」という言葉を使うのをやめた。 それほどまでに濃く、強く、熱い。それでいて儚さ、弱さ、繊細さが見えてその両極のスイングに没入してしまう。 見城さんの本は、読みながら痛みを伴い、自分の血肉にしなければ勿体無いと感じさせてくれる本だ。 どの言葉も見城さんが自分の人生を生き切って獲得してきた言葉だ。 それ故に、この本の中からどこかを切り取って書き残すのは大変失礼だと思うが、自分の中で大好きなパートがあり、そのパートに対する箕輪さんのコメントも大好きなので、今の自分の考えや感動を残すためにここに記す。 第5章''旅に出て外部に晒され、恋に堕ちて他者を知る" この章に書いてある、 "『深夜特急』・人生からの脱獄" "旅とは「貨幣と言語が通用しない場所に行くこと」だ" この2つのテーマと、沢木耕太郎さんの『深夜特急』からの引用を元に語られる、見城さんの旅の本質の切り取り方が途轍もない。 思わず首を擡げてしまった。 2017/5/24に公開されたNEWS PICKSの『リーダーの教養書』でも見城さんはこのエピソードや考えを残してくださっている。(以下当該URL) https://newspicks.com/news/2257002/body/ そして、その記事に対する箕輪さんのコメントも素晴らしすぎて、こちらも読むたびに首が擡げてしまう。(以下一部抜粋) 「自分が旅に何を求めていたか、旅から何を得て、人生にいかに作用していたかを知った。 何年も前に、ただしていた旅が、また意味を持ち出して、正確な言葉で言い表すことがいかに大切か、改めて気付かされた」 見城さんの言葉を喰らい、箕輪さんの言葉を喰らい、僕も僕なりに過去の海外での経験や旅への意味合いを見つけ、自分がなぜ心のどこかで海外を求めているのか、理由が少しわかった気がする。 このように自分を熱くし、自分の内側に気づきをくれる言葉や考えが、最初から最後までぎっしりと詰まっている。 読書によって正確な言葉と自己検証はもたらされ、正確な言葉と自己検証によって深い思考が可能になる。 そして深い思考こそが、その人の人生を決める唯一のバックボーンになるのだ。 僕はもう、血で血を洗う読書という荒野を突き進み始めたのかも知れない。 見城さん、素敵な本をありがとうございます。 長く拙い文章を失礼いたしました。

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絶望しきって死ぬために
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    死ぬために生きる

    見城さんが屋形船[いざなぎ]で「うし松」平久保シェフのお料理と共に飲まれたワイン

    左から

    クラウディ・ベイ ソーヴィニヨン・ブラン 2024
    ×2

    コシュ・デュリ ムルソー 2022
    ×2

    ルフレーヴ シュヴァリエ・モンラッシェ 2022
    ×2

    シャトー・カロン・セギュール 1990 マグナムボトル

    素敵な皆様、見城さんが超絶美味しかったと仰るほどの、西麻布[うし松]平久保シェフのお料理の数々、この世あらざる美しいシチュエーションとロケーション。

    お誕生日から1ヵ月経ってもなお皆様に祝福を受ける、見城さんの人としての凄み。

    全てに想いを馳せます。

  • 死ぬために生きる
    死ぬために生きる
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    今日は箕輪さんが関わるイベントへ。

    故郷から始発で向かったものの、大雪の影響もあり途中で電車が止まってしまったため、急いで電車を降りてたまたま通りかかったタクシーに飛び乗った。

    ガタガタの雪道と吹雪の中、運転手さんの素晴らしい運転で、なんとか乗らなくてはいけない新幹線に間に合った。

    誠意とは「スピード」と「無理をすること」という見城さんのお言葉を思い出した。

    運転手さんにも、こんな天候の中新幹線を通常通り運行してくださるJR東日本にも、全くもって頭が上がらない。

    僕は、箕輪さんからいつも恥ずかしいくらいに一方的に学びをいただいている。
    今日も勝手に学ばせていただいた。

    箕輪さんのずば抜けた他者理解。
    少年で大人、大人で少年、繊細で大胆、大胆で繊細という、両極をスイングする傷つきやすい心。

    そんな箕輪さんを見て、感じて、僕は次の移籍先について考えた。

    有難いことに前所属のクラブからは契約更新のオファーがあり、僭越ながら他の国のクラブからも獲得の打診が届いている。

    しかし慣れた場所や、僕以外の日本人もプレーした、日本人が認められている国のクラブでプレーして何になるというのだ。

    暗闇の中を跳ぶしかない。
    長くても残り1年半のサッカー選手生活。
    ぬるいこと、誰にでもできることをやっていても意味がない。

    この決断ゆえに毎日毎晩さらに憂鬱になるだろうが、憂鬱は我が友、我が家族、我が師。

    たった1年半。1年半は今日のみ。

    自己満足の努力はしない。
    絶望しきって引退するために。

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    5回目の映画[栄光のバックホーム]。

    何度この時間を過ごしても涙がとめどなく出てくる。

    755や日々の中でどれだけカッコいい言葉を吐こうとも、いろんな人の前でカッコつけてみようとも、僕は日々自分の甘さに負ける、ちっぽけな情けない男だ。

    観るたびにこの事実を再確認し、悶え、苦しみ、その先に時間と人を大切にしようと改めて決意する。

    この映画に出会えなかったら、僕はどうなっていただろう。

    映画[栄光のバックホーム]は、巷に溢れる感動の実話だとか、成功譚だとか、そんな言葉で片付けられるものではない。

    横田慎太郎さんが、圧倒的努力と素敵なお人柄で起こした奇跡と栄光の物語。
    それを製作に携わった全ての皆様が熱狂し、圧倒的努力し、作るとか撮るとか演じるとかそんなことではなく、本物をスクリーンに映している。

    横田慎太郎さんと、横田慎太郎さんを愛した者達の本物の物語がスクリーンの中にはあるのだ。
    こんな映画後にも先にも絶対にない。


    今回は母が誘ってくれた。
    母はなんと6回目。

    年末に近しい方を立て続けに亡くした際、どんな時も気丈に振る舞う母が珍しく落ち込んでいた。
    そんな時に母を救ってくれたのが映画[栄光のバックホーム]だった。

    今回なぜ誘ってくれたのかと聞くと、つい先日癌で闘病中だった同僚が亡くなり、その事実から前に進むために観に行きたいのだと教えてくれた。

    生とは死だと、永遠とは一瞬だと、無限は有限だと、わかっていても母はその事実をを受け止めきれていなかった。

    映画[栄光のバックホーム]を観ることで、その事実を「今日をちゃんと生きる」という気持ちに昇華させていたのだと思う。

    母も僕も人生を変えてもらい、救ってもらっている。

    当たり前だと思うこのひととき、今日1日。
    この1日だけが一生であり永遠。
    人それぞれの人生があり、その人達にそれぞれの生きる意味があるのだと思うが、この1日は誰かが生きたかった、渇望した1日。

    適当に生きるわけにはいかない。
    トレーニングしてから寝よう。

    特大の自意識があり、まだまだ母離れできてい子どもな自分を恥ずかしく思います。

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    ↑YouTube[ReHacQ]のヨシダナギさんご出演の回を拝見し、僕のバイブルである見城さんのご著書[読書という荒野]、2017年5月24日公開のNEWS PICKS[リーダーの教養書]での見城さんのお言葉と箕輪さんのコメントに通ずるものがあると感じた。

    そして自分の心の中を整理できた気がする。
    僕は心のどこかで、自分自身の人生や甘さから脱獄、解脱したがっている。

    ようやく取り戻したプロサッカー選手としての生活。ましてやその生活は長くても残り1年半。
    それにもかかわらず、リーグ優勝と国際大会が目前にあるクラブの契約更新を断り、英語圏の国の魅力的なクラブのオファーを断った。

    こんな自分にオファーをくれること自体大変恐縮で有り難いことだが、オファーを受けて気持ちがいい場所へ行くことの嫌悪感を感じていた。

    オファーもない、練習を受け入れてくれるかもわからない、英語も基本的には通じない、そんな国やクラブに、片道切符で挑戦しに行く。

    これらや年齢のことなどを考えると、サッカー関係者は皆僕のことを馬鹿と言うに決まっている。

    豚に喰われたくないので夢は語らない。
    情けないのでその可能性の低さも語らない。
    しかし暗闇で、危険で、茨の道であることは事実。
    無理と無謀。

    「自分の貨幣と言語が通じない場所に行く」ことで、圧倒的外部に晒され、揉まれる。裸形の自分。
    自己愛とプライドを無くしたい。

    憂鬱!

  • 死ぬために生きる
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    ↑凄まじい身体。
    身体のバランスはもちろんのこと、広背筋上部の盛り上がりが本当に凄まじすぎる。

    恐縮ながら身体を鍛え、操ることを生業とする身としては、見城さんの背中が語る事実はあまりに重い。

    やり続けるしかない。憂鬱でも自分に勝ち続けるしかない。
    生き方もトレーニングも、見城さんの熱狂から学ぶことばかりです。