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見城徹

↑ 僕は最初から「決勝はフランスとアルゼンチン。優勝はフランス」と言って来た。 ここまで来た。そうなることを希望します。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    K0183K0183

    見城さん、755の皆さま、こんにちは。

    感想は、人間関係の、最初の一歩。
    そう、話されていました。

    思えば、私もそこから始まりました。
    見城さんの投稿に、感想を書く。ただ、それだけでした。

    九ヶ月が経ちました。
    私の書いたものに、見城さんが、感想をくださいました。

    その言葉に、何度も、救われています。

    感想が、最初の一歩でした。その一歩が、ここまで、連れてきました。

    正直、誠実、善良、真心。
    本日もよろしくお願い申し上げます。

  • 見城徹
    見城徹

    2026年7月25日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2024年4月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    誤解から理解へ。絶望から苛酷へ。
    さあ、今日もいつ結実するか解らない仕事へ。
    独りであること。未熟であること。それが僕の73歳の原点である。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2024年4月の投稿をリトークさせて頂きました。

    誠意を尽くしても、真心を込めても、命を賭けても、相手には届かない。それでも生きる。それでもやり続ける。それでもリングに立つ。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    「僕が大阪へ来た理由」

    北海道から大阪へ。早いもので10年という月日が経ってしまった。
    10代〜20代の頃は百貨店の催事で日本全国を飛び回っていた。北海道物産展のイートインコーナーで小樽の鮨を握る。北は青森から、南は鹿児島まで、東京や大阪へは数えきれないくらい握りに行かせて頂いた。どこへ行っても大行列。みんなが僕達を待っていてくれた。目紛しく忙しい毎日だったが、日本全国が北海道物産展を楽しみにしてくれているように感じて、僕はなんだか誇らしくもあった。

    僕には、ただ握る場所があればよかったのだ。

    15歳の終わりからこの世界に入り、33歳頃に独立開業。その夢と希望はたった3年で潰えた。業者さんにだけは迷惑をかけられない。死んでも支払いをすると決め、読んで字の如く自分の命を差し出した。命からがら生き残り、自己破産。二度目の離婚。信頼は地に落ちた。僕はいつも失敗して全てを失うのだ。

    何もかも失った僕は、包丁と、何枚かの服と、かき集めた現金を握りしめ、小樽から舞鶴へ向かうフェリーに飛び乗り、大阪へ向かった。何故大阪だったのか。大阪の街と人は、いつも僕に優しかったからだ。北海道物産展で大阪へ行くのが、どこの地域に行くよりも楽しみだった。だから落ちて落ちて底まで落ちて、ふらっと来てしまった。

    そんな僕みたいな偏った人間を、大阪の街は受け入れてくれた。どうやら僕は、まだ鮨を握ってもいいらしい。それが、ありがたいのだ。
    大阪に、いつか恩返しが出来たらいい。

  • 見城徹
    見城徹
    投稿画像

    昨夜はメモリードの吉田が7月22日に開業した軽井沢のホテル[エッセンス軽井沢]に友人たちが集まって和食の名店[傳]が監修するレストラン[心]で会食。西酒造の西陽一郎がニュージーランドで作っている美味しいワインを飲みながら深夜まで大いに盛り上がりました。そのままホテルに宿泊。朝食をいただいて、今、新幹線に飛び乗ったところです。

  • 見城徹
    死ぬために生きる死ぬために生きる

    見城さんが軽井沢のホテル[エッセンス軽井沢]内にあります、レストラン[心]にて昨夜飲まれたワイン

    左から

    グラッドストーン アーラー ブリュット

    グラッドストーン アーラー ヘヴンズ・セレクション ピノ・ノワール 2014

    グラッドストーン アーラー ヘヴンズ・セレクション ソーヴィニヨン・ブラン 2017

    ジャン・マルク・ブロカール シャブリ サント・クレール 2023


    遅くなり申し訳ございません。