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見城徹
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憂鬱でなければ、仕事でない。 この言葉には当初、抵抗がありました。堀江貴文さんやユーチューバーなど仕事が遊びだという人を見て憧れていたからです。相反する考え方なのだろうとしばらくは思っていたのですが間違いでした。堀江貴文さんと見城さんからは同じものを感じるのです。情熱と圧倒的努力、魅力あるアイデンティティ。「憂鬱でなければ、仕事でない。」この言葉を理解したような気がしたとともにあなたが遠く感じます

そうかなあ。 目標を容易に達成できないほど高く掲げれば、憂鬱になる。成功がイメージ出来るけど、そこに行き着くには面倒臭いことが沢山予想される人との付き合いは、憂鬱になる。これ、当たり前だよね。楽をして結果なんか出ない。スムーズに進んだ仕事は疑わなけれればダメだ。 自分がスムーズに進められた仕事は誰にとっても難しくないと考えた方がいい。なら、差は着かない。だから、憂鬱になることは大きな結果の第一歩だと僕は信じて来た。それは堀江も一緒だよ。誰も出来ないことをやり遂げるから、凄い結果が出るんだよ。「憂鬱」と「仕事を楽しむ」ことは矛盾しない。僕は憂鬱な仕事を楽しんで来た。不可能に挑戦してる、そう思いながら悪戦苦闘することは楽しい。結果をイメージしているからね。憂鬱でなければ、仕事じゃないんだよ。 僕は貴方の遠くにいない。むしろ、すぐ側にいる。弱い自分にウンザリしながら、それでも自分に鞭打って、匍匐前進しているんだよ。何度でも言う。出来るか出来ないか?ではない。要は、やるかやらないかだ。みんな同じだよ。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹見城徹

    全てのメディアの三島由紀夫特集は即刻、中止して欲しい。没後50年だからと言って的外れな三島由紀夫特集やシンポジウムは単に自分たちの自己満足に過ぎない。三島由紀夫の一体何に迫っていると言うのか?三島由紀夫は明確に日本国憲法の改正を訴えて自決したのだ。既に生きているのも死んでいるのも同じだった三島由紀夫はそれを死ぬための大義名分としたのである。三島由紀夫の神聖喜劇は戦後日本を骨抜きにした日本国憲法を許せないとして幕を閉じた。だから、若者たちに何かを託したとしたら、憲法改正以外にない。それは表面上の理由だが、三島由紀夫はそれを理由にして良し、と考えたのである。であるからして議論すべきは憲法改正についてである。三島由紀夫が命と引き換えにした日本国憲法の欺瞞。三島由紀夫没後50年。その議論を深めないで何を語ろうと言うのか?

  • 見城徹
    てんあつてんあつ

    ↑2020年11月~見城さんの過去のご投稿より。

    今日の見城さんの過去トークからのリトークは以上になります。
    おはようございます。

  • 見城徹
    ろころこ
    投稿画像

    [暗殺] 柴田哲孝著 幻冬舎

    この本が届いても、なかなか読み進めることができずにいた。2年前の7月8日、動揺と放心状態の中、755で皆さんとお祈りしたこと、奈良に住む甥っ子が6月末の奈良の応援演説場所に行き、安倍元総理の写真を送ってくれたこと、そのあとすぐにあの事件が起こり、あまりのショックで彼が泣いていたことなど、あの日の記憶が鮮明によみがえったせいだと思う。書けそうになかった感想は、見城さんの755で皆さんの感想を読んでやっと書いてみようと思えた。あのときも今回も、755は私にとっては痛み分けのような存在であると感じながら、昨夜読み終わった。

    最後までフィクションとして読むのは難しかった。あの日の夜、緊急手術を行なった教授の記者会見や、奈良県警の会見を思い出しながらページをめくった。銃のことが書いてある箇所は怖くて息切れした。全てがあの事件の記録のように思えてならなかった。
    エピローグ、篠山が日本人は物事を忘れやすいと、口元に笑みを浮かべるシーンを読んで、この2年間いろいろなことに違和感を感じながらも、のんきに過ごしてきた無知な自分が恥ずかしくなった。政治や社会問題に対する関心もだんだんと薄れ、なかなか意欲も湧いてこなかった。でもやっぱり生き抜いて自分の目で物事を確かめたい。久しぶりにそう思えた。忘れられない貴重な読書だった。