見城徹見城徹2016年03月15日 00:27ケイスケケイスケです。お返事ありがとうございます。確かに大した結果じゃないんです。たった全社営業13人中の1番です。それに自分の力というより、原因は支社を引っ張っていた先輩がうつ病で休職した事です。突然、自分のいた支社が自分と後輩、新人だけ残されて営業に出れるのが自分一人になっていた時期でした。会社が暗い雰囲気、下からの不満、仕事のトラブル、誰も頼れない毎日が嫌になった時、本から少し元気をもらいました。それなら解ります。僕にお礼を言いたい気持ちを持ってくれたんだね。言葉が肉体化するのは時間がかかります。人間、そう簡単には変わりません。これからもトップを続けて下さい。有難う。
見城徹見城徹7時間前おはようございます。2024年11月15日。今朝も大阪の会員制の鮨店[mikami limited 50]、そのセカンドラインの居酒屋形態の[福や](ここは極上の鮨だけでなく、パスタやハンバーグ、カニクリームコロッケなど洋食も食べられます。勿論、誰でも店に入れるし、値段も安い)を経営する鮨職人・三上雅博がアップしてくれた2019年8月の僕の755をリトークします。↓1132
見城徹7時間前見城徹見城徹[天よ、百難をわれに与えよ]と言ったのは中国の後漢末の武将・曹操孟徳だったか?百難を一つ一つ捩伏せてやる。辛くて苦しくて逃げたいけど、そう言い聞かせて立ち上がるしかない。曹操孟徳の言葉は[奸雄たらずとも、必ず天下の一雄になってみせる]と続く。僕は天下の一雄になるなんて興味も実力もないけど、社員と友と仕事のためには百難を引き受ける。181614
見城徹7時間前三上雅博三上雅博↑おはようございます。2019年8月の親父の投稿のリトークです。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」尼子氏の家臣「山中鹿介」(幸盛)の言葉。戦国の世で尼子家再建を三日月に祈ったと伝えられています。それを思い出しました。僕は少年時代、この言葉に胸を射抜かれました。ずっとこの言葉が僕の中に生きています。天よ。神よ。三日月よ。百難を僕に与えたまえ。僕が愛する人達のために。皆様本日も宜しくお願い致します。1111