削除されたユーザー席に座り、入る時に受け取ったリーフレットに目を通していると、「プレッシャーのあまり執筆中は本気で失踪を考えた」という横内謙介さんが書かれた一文を読み、それだけで厚木まで来て良かったと思いました。 芝居中には、こんなにも客席と舞台が一体となり会場中の気温が高くなるのかと知り、その熱気に自分も食らいついていこうと必死で、ラストシーンでは思わず「Bravo‼︎」と叫びたくなりました。
見城徹のトーク
トーク情報見城徹 見城徹見城徹 30年前、僕は38歳だった。編集長だった[月刊カドカワ]は毎月、倍々ゲームで部数を伸ばして破竹の快進撃を続けていた。僕が一人でコツコツと作っていた銀色夏生は出せば100万部を超えた。担当作品は次々直木賞を取り、ベストセラーを量産した。坂本龍一や尾崎豊、ユーミンを初めとするミュージシャンたちと決定的な仕事をした。毎夜のように楠田枝里子とバー・ラジオやル・クラブで会って飲んでいた。会社を一番儲けさせていたから、大概の希望は通った。金は湯水のように使った。今から考えれば最高の日々だった。しかし、毎日、毎日、辛くて仕方がなかった。楠田枝里子といる時だけが唯一の慰めだった。今から思えば絶頂の時だったが、40年前だって、20年前だって、10年前だって絶頂期だった気がする。人は絶頂期だと後から気付くのだ。そして後から気付いてももう遅い。
見城徹 三上雅博三上雅博 ↑
おはようございます。
2019年10月の親父の投稿のリトークです。
僕は約30年前にこの世界に入りました。
もうすぐ45歳になります。
この年になるまで鮨職人を続けるなんてその時の自分には想像もしていませんでした。
途中で挫けると思っていました。心が折れると思っていました。
自分は何をやっても続かない駄目人間です。
色んな事をやっては失敗して諦めて、僕にはこの仕事に縋るしか無かっただけの様に思います。
ただ、いつもその時の自分に出来る精一杯で生きていました。僕の根本は昔から変わっていません。いつだってどんな場所だって熱狂していました。目の前の与えられた場面で全力を尽くしてきました。
ただそうやって生きていたら今の自分になりました。
いつだって絶頂期。だからこそ今日が愛おしい。
本日も皆様、宜しくお願いします。見城徹 見城徹見城徹 人間は生まれた瞬間から必ず死ぬ運命にある。
人は死ぬと解っていて何故、生きるのか?
今、外苑通りを車で走っている。明日死ぬと決まっているならば、外の景色は切ないほど愛おしく見えるだろう。諸行無常。生者必滅。今日一日をどれくらい覚悟して生きられるかどうか?目を瞑る。[豊饒の海]の最終巻「天人五衰」を書き終えて45歳で切腹して果てた三島由紀夫を想う。
益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐
三島由紀夫は二首の辞世を残した。生きるということは死ぬということだ。その覚悟。その虚無。
人は誰もやがて荒野の風になる。