ログイン
詳細
見城徹
団長世代
団長世代
見城さん お誕生日おめでとうございます。 お忙しいこととは思いますがどうぞお体大切になさってください。 見城さんに出会いダメな自分に気づきました。日々もがきながらも前に進みます。本当にありがとうございます。

僕もダメです。お互い何とか目の前の壁を突破しましょう。有難う。

前へ次へ
見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹見城徹

    高校、大学時代ばかりを思い出している。
    思い出に浸るのはヤキが回っている証拠とも言う。つまり、[終わった人]だ。辛くても未来を考え抜かなければ、人間は錆びる。ここ数日[ジャージーボーイズ ]の回顧のシーンを見過ぎたからかも知れない。今朝は[クリード2]の虎の穴のシーンを観て出社しよう。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    僕は一週間に三度は君のベッドで眠っている/君のベッドで考えついたこともいっぱいあるんだぜ/それは全部君のベッドで眠ったおかげだ

    これは僕が角川時代に見出して本を出し続けた三代目魚武 濱田成夫の詩の一節である。記憶だけで書いたのでかなり不正確である。
    濱田成夫とは僕が30代前半、彼が20代前半の頃、しょっちゅう会っていた。彼は大塚寧々と結婚し、父となり、離婚した。その頃から今日まで長い間、会っていない。
    どうしているだろう?会ってみたい。

    1
  • 見城徹
    見城徹見城徹

    [ヘルプミーロンダ][リトルホンダ][FUN FUN FUN][サーフィンUSA][アイゲットアラウンド][ドントウォーリーベイビー][カリフォルニアガールズ][スループジョンB][グッドヴァイブレーション]

    ビーチボーイズは偉大だ。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ビーチボーイズ、ベンチャーズ、ビートルズ、
    クリフ・リチャード。この4組の音楽があれば
    僕はゴキゲン。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    青春は反逆の季節だ。学校や社会、国家など共同体に従順に過ごす青春など、全力でまともに生きようとしたらあり得ない。当然、そこには自己検証、自己嫌悪、自己否定が常に含まれている。それらを抱えながら、葛藤し、もがく。突破を試みる。それが反逆というものだ。しかし、人はいつか妥協することを覚える。日々の生活は共同体と折り合わなければ成立しないからだ。それを[挫折]と呼ぶか、[成熟]と呼ぶかはそれぞれの胸の中にある。
    反逆の季節は終わっても、心中に自己検証、自己嫌悪、自己否定をいつまで持っていられるか?それがある限り少なくとも小さな人生の戦いは続く。戦いを放棄した時、人は精神的に死ぬのだ。

  • 見城徹
    てんあつてんあつ

    ↑2020年10月~見城さんの過去のご投稿より。

    今日の見城さんの過去トークからのリトークは以上になります。
    おはようございます。

  • 見城徹
    MiRAIMiRAI
    投稿画像

    [暗殺 柴田哲孝著]
     
     日本は世界一平和な国だと若い頃から思ってきましたが、コロナウィルス蔓延の辺りから、日本は世界一闇の深い国だと確信しはじめました。

     安倍元総理は、日本の被支配構造の中で、闇と握手をし、しかし一方でしたたかに日本の為に戦ってこられたと思っています。そしてこの本を読んで、闇は、光が当たらないから闇なのであって、一旦光が当たれば闇ではなくなると。安倍元総理の死は、結果的に闇を照らし出すとんでもない引き金になったのではないかと(極めて、無神経なことを書いてしまっていますが)その様に思ってしまいました。
     少なくとも間違いなく、この小説は鮮烈な光。驚きの連続でした。

     令和と禁厭(きんえん)、「田布施」と「合同協会」、実行犯とシャドウ。エアライフルや水銀弾が作られていく様子、自衛隊の内部にそんな闇があるという事、あの演説場所が選ばれた流れ。国葬。記者の死。文中に“Qアノン”という言葉がチラリと出てきましたが、このような言葉も含めて、フィクションとは思えない生々しさがありました。その背景に、真実を究明せずには死ねないというような、著者の圧倒的な熱量を感じ、ひたすら感銘を受けながら読了致しました。

     改めて安倍総理のご冥福ををお祈り致します。戦後のレジームとはこういう事なのでしょうか。日本人は、“見ざる、言わざる、聞か猿”の姿勢をとりながらも、一度核心を悟ると、以心伝心。通底しあう民族であると信じています。だからこそ、この本が広く読まれて欲しいと願います。同時に、幻冬舎から出版されたという事について、様々な事を想像し心が震えます。
     本当に凄かったです。素晴らしい作品を有難うございました。

  • 見城徹
    雨音雨音

    僕は30代前半を静岡市清水区で過ごした。当時住んでいた寮から自転車で少し走ると、小糸製作所の工場群を眺められる。そういう場所に住んでいた。

    その頃ちょうど「読書という荒野」が出版され、見城さんが小糸製作所の社宅に住んでいたというエピソードを読んで、今まで遠くの人だと思っていたのが急に身近に感じられたことを覚えている。

    同じ景色を共有できるというのは、そういうことだと思った。

  • 見城徹
    見城徹


    ちいさなやさしい群よ
    みんなは思い出のひとつひとつだ
    ぼくはでてゆく
    嫌悪のひとつひとつに出遇うために
    ぼくはでてゆく
    無数の敵のどまん中へ

    吉本隆明[ちいさな群への挨拶]より抜粋。