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見城徹
とざま
とざま
見城社長、 前回、見城社長の魅力は劣等感と逆説としての生き様であると申し上げた者です。お忙しい中、コメントの方ありがとうございました。前回から日が空いてしまい失礼しました。 最近「やじコメ」が流行っているようですが、私のコメントも社長にとってはその一つなのでしょうか。 私は見城社長への気持ちをどこまでも本気で示しているつもりです。ですから、私は自分のコメントを「やじコメ」とは呼ばれたくありません。

いや、[やじコメ]というのは755が決めた固有名詞です。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    オジトモオジトモ

    ★アルマン・ルソー、ジュヴレ・シャンベルタン 2016

    ★ルフレーヴ、ピュリニー・モンラッシェ・レ・ピュセル2021

    ★コシュ・デュリ、ムルソー 2016×2

    ★ジャクソン、キュヴェ746

  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。11月1日。今朝も会員制の鮨店[mikami limited 50]、そのセカンドラインの居酒屋形態の[福や](ここは極上の鮨だけでなく、パスタやハンバーグ、カニクリームコロッケなど洋食も食べられます。勿論、誰でも店に入れるし、値段も安い)を経営する鮨職人・三上雅博がアップしてくれた2019年3月の僕の755をリトークすることから始めます。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    静岡新聞夕刊の僕の連載コラム[窓辺]第11回『課外授業』(2019.3.18掲載)
    2001年2月18日NHK総合で僕の「課外授業 ようこそ先輩」が放送された。僕が通った清水市立有度第一小学校(当時)6年2組の生徒たちに2日間に渡って授業をし、それをまとめたものだ。幸いなことに評判は良く、3度も再放送され、その記録は1冊の本にもなって出版され版も重ねている。授業は悪戦苦闘の連続だった。
    「課外授業」というからには学校の通常の授業では教えてくれないことを生徒たちに教えたかった。これから人生を生き始める12歳の子供たちに人と人とが関係するとはどういうことかを「編集する作業」を通じて伝えたかった。
    母校は僕の小学校時代の建物の配置がそのまま残っていて、僕が1人遊びをしていた場所もそのまま在った。
    5、6年の頃は自らピエロを演じるいじめられっ子だった。いじめる側ばかりを信じる担任の先生にも嫌われていて、通信簿の「行動の記録」はCばかりだった。一刻も早く卒業したかった。まさかその小学校で6年生に授業をすることになるとは思ってもみなかった。仲良しこよしでいても本当の関係は始まらない。自分の気持ちをさらけ出して相手と批評し合った時、傷口は広がるし、返り血も浴びるし、涙も出るが関係は深まる。2日目の授業では、数人の生徒が感極まって泣き始めた。授業を終え、教室を出て帰ろうとする僕を全員が校庭まで追いかけて来て、僕も目頭が熱くなった。
    僕は68歳になった。
    30歳になる彼等は今、どんな人生を歩んでいるだろうか?

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  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2019年3月の親父の投稿のリトークです。
    静岡新聞に掲載された親父の連載コラム第11回『課外授業』。
    その時の親父の言葉もここに記します。


    心が運動すると、風が起こる。
熱が出る。光が発生する。
人はそれに引き寄せられる。
それが君の魅力だ。
君の存在感だ。
運動しない心は何も生み出さない。 
運動する心と心がぶつかり合った時、
    傷口が拡がる。
返り血を浴びる。涙も出てくる。
でも、そこからが本当の関係なんだ。
そこからがすべての始まりなんだ。
君たちの心は運動したか?
運動したら、わかるはずだ。
やればできる。
編集とは感動だ。

    見城徹


    皆様本日もよろしくお願いします。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    ↑親父のこの文章を読むと毎回涙が出てきます。心が激しく動き出します。
    小学生の頃にこんな素敵な言葉と出会えていたら、きっと今とは違う生き方をしていたことと思います。
    前にも755で書きましたが僕も小学生の頃いじめられていました。

  • 見城徹
    ジョージジョージ
    投稿画像

    週刊文春で連載されている「サイバーエージェント社長 藤田晋のリーチ・ツモ・ドラ1」今週号、特に面白かった。


    見城さんのお名前が出てくるし、見城さんがいないと成り立たないエピソード。

    おすすめですよー