ログイン
詳細
見城徹

<かけがえのない今日> 50年前、僕は四回生として、静岡県立清水南高等学校を卒業した。 小学校・中学校と劣等生だった僕にとって、 高校入学は今から考えても決定的に大きな人生の転機になった。 東京での大学生活を通じても、高校時代ほど生命のエキスが凝縮された時間はなかった。 海と山に囲まれて、日差しがさんさんと降り注ぐ、花と緑が目に染みる、 青春ドラマの舞台になるような高校で、僕は全身をぶつけて、 恋愛や友情、勉強やスポーツに向き合った。 あれほど懸命に生きた記憶は、後にも先にもあの三年間だけである。 あの三年が今の僕を形作り今の僕をあらしめていると、はっきりと断言できる。 それほど僕にとって、濃密で一心不乱の季節だった。 はじめて異性を愛しいと思い、一挙手一投足に振り回され、思い詰めた日々を過ごしたこともなかったし、 ロックンロールに夢中になって ビートルズという一組のミュージシャンにあれほどの熱量でのめり込んだこともなかった。 ラグビーに出会って、鈍い運動神経ながらも初めてスポーツを楽しいと思ったのも、高校の三年間だけだった。 社会に出てからも、ラグビーのクラブチームをつくってトレーニングにも励んだけれども、高校時代のようなトライの快感は得られなかった。 嫌だ嫌だと逃げたい心を押さえつけて一日3時間睡眠で受験勉強をしたのも、 海辺で友人と日が暮れるまで議論したのも、 本を片端から読んだのも、その三年間に限られている。 一歩を踏み出すこと、目標に向かって努力すること、死ぬ気で何かに熱中すること、 それらすべてを高校の三年間は僕に天の恵みのように教えてくれた。 自分の信じた道を真っ当に努力さえすれば、時間がかかろうとも必ず少しは報われる、そのことに僕は高校に入って初めて気づいたのだった。 何故それが高校時代だったのか、 丁度、強烈な自我に目覚める年頃だったのか、よく解らないけれど、 高校三年間で僕は、生きるという営みの歓喜と切なさを全身で受け止めたのだ。 自分が信じたものに熱狂できる特権は若者特有のものだ。 社会に出れば、様々な大人の事情が、それを許さない。 小・中学生では子供過ぎるし、大学生では自由過ぎる。 親のスネをかじりながら、受験という目の前に立ちはだかる乗り越えるべき大きな壁にぶつかりながら、自分が熱狂するものにもがき苦しみ、全力を尽くす。 僕が清水南高で得たものは62歳の僕の人生を左右し、僕の人生を決定づけた。 あの三年間がなかったら、今の僕はなかった。 そのさ中にある者には、その貴重さは解らない。 そのさ中をどう生きるのか。 何とどう向き合うのか。 君達は二度と戻らない、その貴重な季節のさ中にいる。 何でもいい。何かに熱中しろ。何かと格闘しろ。もがき、苦しみ、悩み抜け。 それが、どれだけ大切だったか、思い知る時がきっと来る。 光陰矢の如し。今日と違う明日をつくれ。 それには圧倒的努力が必要だ。10年なんてあっという間だ。 昨日と同じ今日、今日と同じ明日。そんなものはつまらない。 「君がなんとなく生きた今日は、 昨日死んでいった人達が、どうしても生きたかった大切な明日だ。」 アメリカ原住民に伝わる言葉である。 人生の中で最も恵まれた季節を、なんとなく生きるな。 失恋してもいい。失敗してもいい。 勇気を出して、自分が夢中になれる何かに一歩を踏み出してくれ。 どんなにボロボロになっても、それがあとで、かけがえのない一日になる。

前へ次へ
見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    オジトモオジトモ

    【追加版】
    ★ルフレーヴ、ピュリニー・モンラッシェ・レ・フォラティエール2022

    ★ルフレーヴ、ピュリニー・モンラッシェ・クラヴァイヨン2022

    ★ マルケージ ディ、バルバレスコ1950(見城さん生まれ年)

    ★シャトー・オーブリオン1958(脇屋さんの生まれ年)

    ★ シャトー・ド・ムルソー、ムルソー・シャルム・ドゥシュ2022

  • 見城徹
    見城徹

    11月28日。大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅弘がリトークしてくれた2019年10月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    「涙が涸れる」  吉本 隆明

    けふから ぼくらは泣かない
    きのふまでのように もう世界は
    うつくしくもなくなったから そうして
    針のやうなことばをあつめて 悲惨な
    出来ごとを生活の中からみつけ
    つき刺す
    ぼくらの生活があるかぎり 一本の針を
    引出しからつかみだすように 心の傷から
    ひとつの倫理を つまり
    役立ちうる武器をつかみだす

    しめっぽい貧民街の朽ちかかった軒端を
    ひとりであるいは少女と
    とほり過ぎるとき ぼくらは
    残酷に ぼくらの武器を
    かくしてゐる
    胸のあひだからは 涙のかはりに
    バラ色の私鉄の切符が
    くちゃくちゃになってあらはれ
    ぼくらはぼくらに または少女に
    それを視せて とほくまで
    ゆくんだと告げるのである

    とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
    嫉みと嫉みとをからみ合はせても
    窮迫したぼくらの生活からは 名高い
    恋の物語はうまれない
    ぼくらはきみによって
    きみはぼくらによって ただ
    屈辱を組織できるだけだ
    それをしなければならぬ

  • 見城徹
    見城徹見城徹
    投稿画像

    では、[涙が涸れる]は何に掲載されていたのか?三田祭のパンフレットだったか?
    勿論、吉本隆明の[涙が涸れる]は知っていたが、それを慶應大学公認の冊子に掲載した学生の心情に激しく僕が共感したのは間違いない記憶である。と思う。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    僕は慶應義塾の114回目の卒業生です。卒業する者全員の就職先と自宅の住所が記され、卒業生の応募原稿と、発表されている作家や詩人の作品などの転載で構成されたかなりぶ厚い冊子です。卒業生全員に配られます。
    僕は就職先の欄に[さすらいのギャンブラー」と記し、顰蹙を買いました。子供だったなあ、と思います。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2019年10月の親父の投稿のリトークです。

    「さすらいのギャンブラー」の話は親父から聞いた事がありました。
    僕はそんな事を書く親父が大好きです。
    「普通」はなんにも面白く無い。「普通」は全然響かない。
    だったら顰蹙を買ってでも、枠から飛び出す方が良い。僕はそう思います。

    今日も吉本隆明の詩が胸に沁む。
    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 見城徹
    見城徹

    ここのところずっと[三上雅博]を[三上雅弘]と誤記していました。三上雅博御本人と僕のトークを読んでくださっている方々に謹んでお詫びし、訂正させていただきます。不注意から来た典型的なミスです。お恥ずかしい。

  • 見城徹
    見城徹

    何よりも名前を間違えるなどあってはならないこと。三上雅博に重ねてお詫び申し上げます。