ログイン
詳細
見城徹

本日の静岡新聞夕刊の僕の連載コラム[窓辺]です。 『755』(2019.2.4掲載) 755というトーク・アプリがある。逮捕され、服役していた堀江貴文が出所して、親友のサイバーエージェント社長・藤田晋と作ったSNSだ。因みに、755は堀江の囚人番号である。2人に頼まれてスマホなど使ったことがなかった僕が、覚束ない手つきで始めてみた。 2回の中断後、2016年2月10日から再開し丁度3年、ウォッチ数も600万近くになる。見知らぬ人たちからの質問に答えるのだが、その中に僕の熱狂的ファンだと言ってくれる「長太郎飯店」というユーザーに気づいた。トークに行くと美味しそうな中華料理の写真をたくさんアップしている。所在地が静岡市清水区だというのも心惹かれ、時間を捻出して高校の同級生を誘って行ってみた。水餃子、油淋鶏、里芋のスープ、ガーリック炒飯、茄子そば…。ごく普通の中華屋なのに出てくる1品1品がとんでもなく美味しい。今や豚まんは全国的に有名で韓国にも進出した。 オーナー・シェフの石田雅也さんは物静かなナイス・ガイ。以後、755で僕を慕ってくれるユーザー達と何度も訪れている。 755は不思議な仮想空間だ。見ず知らずの人たちとネット上で会話し、心が通い合えばリアルな世界でも親しくなって行く。長太郎飯店に出会わせてくれたのも755だ。朝のベッドの上。仕事から仕事へ向かう車の中。寝る前の書斎。かくして僕は、今日も無名だけれども懸命に生きている人たちに想いを馳せながら心を込めて文字を打ち込む。

前へ次へ
見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    ikutamaikutama

    『困っている時に助けてくれるのが友人だとすれば、彼は間違いなく数少ない友人の一人です』という坂本龍一さんの言葉に心打たれました。

    坂本龍一さんの書籍を探すときに、幻冬舎から出ている本がほとんどなくて、不思議に思ったことがあるのですが、755で見城さんのご投稿を拝見し、その理由を知りました。
    仕事を超えたお二人の関係を想像すると胸が熱くなります。

    https://toyokeizai.net/articles/-/198718?page=5

    ――坂本さんにとっての仕事ってどんなものでしょうか。
    それこそワーカホリックだった30、40代のときなんかは仕事のことしか考えていなかった。だいたい昼の12時から夜の12時まで、12時間仕事して。そこから朝まで飲みに行く。で、3、4時間寝て、また昼から仕事をして、という生活を何年もずっと続けていました。
    ――寝る時間は3、4時間くらい?
    そうですね。だいたい1週間のうち6日間は、夜から朝までずっと飲んでいた。だいたい7時ごろに帰ってましたが、盛り上がっちゃうと11時ごろまでということもありました。
    ――それは朝の、ということですよね。
    そう、朝です。ニューヨークに行く2、3年前までは、毎日のように現・幻冬舎社長の見城徹氏を付き合わせていました。彼は「もう帰らせてくれ」と泣いてました(笑)。
    ――そんな生活に変化が出てきたのは、いつごろからでしょうか。
    やはりひとつはニューヨークに移住したということが大きいですね。夜遊びをしなくなったから。今ではほとんど外出もしなくなりましたね。見城のように心底付き合ってくれるヤツもいないし。まあ、探せばいるのかもしれないけど。

  • 見城徹
    藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎)

    人生の岐路に立ったこの三ヶ月。皆さんからしたら大したことのない話なのですが、私の人生に激震が走りました。逃げよう逃げよう、安全な方安全な方と走り回ったのですが、危険な方に舵を切ってしまいました。

    10月から、逃げ回っていた「外科部長」になります。医者はだいたいプレイヤーをやりながらのマネジメントですが、私は特に手術をバリバリ執刀しながらのマネジメントになります。人材獲得(医師獲得)もやってます。

    給料は増えませんが、責任と仕事がグンと増えました。苦しいのですが、苦しいから正しいのだ、と開き直っています。迷ったら正面突破、ですよね!!

  • 見城徹
    見城徹
    投稿画像

    楽しみだった[Ha-Na-Re]。
    前回もやっぱり今回も感動的な美味しさ。
    「梅と紫蘇の冷たいパスタ」。

  • 見城徹
    見城徹

    1年振りのゴルフ。全ホールを歩き通して全身がガタガタ。本番はまだ先。もうやめるつもりだったゴルフだが、また意欲が湧いて来た。茅ヶ崎にあるスリーハンドレッド・クラブを退会してしまったのが今更ながら悔やまれる。石原慎太郎さんと200回以上プレーした思い出の詰まったゴルフ場。後悔先に立たず。早まったなあ。

  • 見城徹
    見城徹

    1985年8月12日。僕は六本木のレストラン[マナハウス]で村上龍と2人で食事を摂っていた。19時過ぎに日航機123便の墜落の報が飛び込んで来た。客は僕たち2人だけだった。店の高松オーナーも村上龍も僕も急に無口になり、ニュースを映し出す店のテレビに釘付けになった。あれから41年が経ったのか?あの時にマナハウスの窓から見た暮れなずむ空を今でも鮮明に覚えている。