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見城徹

高橋慎一さんがabem TVの[徹の部屋]について言ってくれている文章が胸に染みた。自分でも刺激的な番組だった自信がある。昨夜はそのabem TVの谷口・藤井両製作局長と食事だった。[徹の部屋]を再開してくれという声を方々で聞く。一緒に司会をしていた大石絵理のためにも再開しようかと思う時がある。大石絵理は[徹の部屋]でこそ輝いていた。本領を発揮していた。色んな想いを巡らせるが、番組再開はまだ早い。そう言えば[徹の部屋]の責任者だった水野を一度食事に呼んで励まさなければならない。水野はサイバーエージェントを辞めて独立したのだ。僕は止めたのだけど、彼は思い切った。44回(だったか?)の[徹の部屋]だったが様々な人生が交錯した。そして、人生は続いて行く。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    2026年7月19日。
    大阪で[mikami limited 50]を営む鮨職人・三上雅博がリトークしてくれた2024年1月の僕のトークです。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」を久々に聴いている。静岡県清水市の高校時代、文化放送の[9500万人のポピュラー・リクエスト]が楽しみだった。エルビス・プレスリー、ビートルズ、クリフ・リチャード、ビーチボーイズ、ベンチャーズ、全部この番組で聴いていた。「サウンド・オブ・サイレンス」は1967年に公開されたアメリカ映画「卒業」のラストに使われて一気に大ヒットとなった。小糸製作所静岡工場の小さな社宅。今から思うと何もかもが切ない。小さな世界で精一杯に生きていたあの頃の自分を抱きしめてやりたくなる。映画「卒業」に涙したあの頃。56年の月日が流れて僕はまだ生きている。沈黙という音。生まれる。生きる。歳を取る。本当は沈黙だけを抱えて人は土に帰る。生きて死んだ人の数だけ沈黙は響き合っている。
    最初からゼロ。生きたのは錯覚かも知れない。
    何もなかったのだ。サウンド・オブ・サイレンス‼️

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    本日は親父の過去の投稿より、2024年1月の投稿をリトークさせて頂きました。

    親父の文章を読みながら、心の中で「サウンド・オブ・サイレンス」が流れます。

    小樽の山間の長屋で生まれ育ち、随分と遠くまで来てしまった。何もなかったあの頃。小さな世界で足掻いた日々。切なさを胸に今日も往く。いつか死がすべてを無に帰す。ただ、その日まで。