見城徹見城徹2020年03月21日 14:01↑ 愛が病んでいた時代の多分初期を僕は知っている。愛が池尻愛として幻冬舎でアルバイトをしていたからだ。慶應大学文学部図書館情報学科の学生だった。元気一杯に見えたけど、精神は辛かったんだと思う。あることがあって突然、彼女は幻冬舎を去って行った。中退して故郷の島根に帰る前に2人で神宮前のイタリアン[ビザビ]で晩御飯を食べた。何を話したのかもう覚えていないが、愛がいなくなるのは切なかった。755が出来て奇跡のように再び愛と巡り合った。愛を慰めた足立美術館の庭園。人々の営みに想いを馳せながら、その庭園に佇みたい気がする。何よりも自分自身のために。
見城徹見城徹19時間前おはようございます。2024年11月15日。今朝も大阪の会員制の鮨店[mikami limited 50]、そのセカンドラインの居酒屋形態の[福や](ここは極上の鮨だけでなく、パスタやハンバーグ、カニクリームコロッケなど洋食も食べられます。勿論、誰でも店に入れるし、値段も安い)を経営する鮨職人・三上雅博がアップしてくれた2019年8月の僕の755をリトークします。↓1391
見城徹19時間前見城徹見城徹[天よ、百難をわれに与えよ]と言ったのは中国の後漢末の武将・曹操孟徳だったか?百難を一つ一つ捩伏せてやる。辛くて苦しくて逃げたいけど、そう言い聞かせて立ち上がるしかない。曹操孟徳の言葉は[奸雄たらずとも、必ず天下の一雄になってみせる]と続く。僕は天下の一雄になるなんて興味も実力もないけど、社員と友と仕事のためには百難を引き受ける。1811114
見城徹19時間前三上雅博三上雅博↑おはようございます。2019年8月の親父の投稿のリトークです。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」尼子氏の家臣「山中鹿介」(幸盛)の言葉。戦国の世で尼子家再建を三日月に祈ったと伝えられています。それを思い出しました。僕は少年時代、この言葉に胸を射抜かれました。ずっとこの言葉が僕の中に生きています。天よ。神よ。三日月よ。百難を僕に与えたまえ。僕が愛する人達のために。皆様本日も宜しくお願い致します。1118