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見城徹

今、[サンデーモーニング]の「風をよむ」で三島由紀夫が自決する6ヶ月前の音声テープを流していた。一瞬だったので記憶に自信はないが、次のようなことを言っていた。 僕は憲法第9条をいけないと言っている訳じゃないんだ。戦争をしてはいけない。ただ9条の第2項は変えなければならない。日本は戦後25年を誤魔化し誤魔化しやって来た。その誤魔化しを僕は許せないんだ。後50年、100年が経ったら僕の言っていることが解る人が出てくるかも知れない。 かなり、不正確だがそのようなことだった。 三島由紀夫の死後50年が経った。 戦争をやりたい人なんていない。しかし、国である以上、自衛としての武力は持たなければならない。憲法でそれを放棄している国なんてない。お仕着せの憲法。お仕着せの民主主義。憲法では自衛隊は違憲なのだ。未だに日本はそれを誤魔化している。国家としての根本的な嘘。国家の背骨の骨抜き。こんな嘘を貫き通している恥ずかしい国家・日本。終戦から75年。 「あの戦争をまた引き起こしてはならない。戦争への道に向かおうとする国家権力には反対しなければならない」 などと中学生のホームルームのようなことをコメントする文化人と称する人やジャーナリストと称する人たち。戦争をしたい人なんていない。当たり前の話だ。しかし、国家の政治的技術として自衛する軍隊は必要なのだ。日本においては自衛隊で充分だ。自衛隊は明白に軍隊なのだ。その存在を日本国憲法で銘記しないで、何が日本国憲法なのだろう?こんな空洞な憲法を定めている国はない。 三島由紀夫が言った50年が経った。日本国憲法は改正されなければならない。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    僕は、僕が出逢う人達に「狂ってる」と言われながら生きている。
    地獄に飛び込み、針の山を登り、業火に灼かれながら恍惚の笑顔で舞い踊る。その姿を人は狂気と言う。そして、病気とも言う。
    僕は瘋癲の重症患者。とても普通には生きられない。ただ僕は、狂わなければこの世で生きていられなかっただけなんだ。
    だから僕は、今日も今日とて鮨に狂う。
    今日会う人達に「狂ってる」と言ってもらえるまでやるだけだ。
    「狂気」こそが我が命。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    親父、リトーク有難う御座います。
    親父にそう言ってもらえると救われます。
    あまり学校へも行かず、真面目に勉強してこなかったので自己流でなんとか言葉にしております。毎日755で親父始め皆様の文章を読んで勉強させてもらってます。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 実は本を沢山読んでいた時期があるんだと推察しています。でないと、このような文章は書けません。正確な言葉で世界の本質を射抜く驚くべき表現力です。

  • 見城徹
    見城徹
    kaaki67
    見城さん お忙しい中、リトークありがとうございます。喜んでいただけて私も嬉しいです。以前ご紹介いただいた映画「チンソクの夏」を観ました。(※ネタバレ注意) 一番印象的だったのが、懇親会会場でアン君が日本の深夜ラジオで流れてた憶えたての「なごり雪」を歌い始めた時、韓国選手団の教師から「日本語の歌は禁止だぞ!」と激怒され中断させられるシーン。その1

    はい。それがラストに繋がって来ます。

  • 見城徹
    見城徹
    kaaki67
    その2 時が過ぎ、皆それぞれ別の道を歩み、 20数年振りの再会。 アン君が「なごり雪」を口ずさんでるシーンから涙が溢れ、イルカさんがハングルから歌い始めた所で号泣しました。堪らないですね。良い映画を紹介頂いきありがとうございました。

    堪らないですよね。何という映画!何度観ても涙が溢れます。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    そう言われ思い返すと、「想像するのが好きで」小説にハマっていた時期がありました。ハリーポッターが初めて日本に上陸した時、小説の面白さを初めて知りました。
    その後、映画も観ました。比べられた事が幸いしました。「小説の方が面白い」。それを知る事が出来ました。映像で観るよりも小説を読んで自分の想像の中で思い浮かべていた方がもっと「世界」が広かったんです。もっと壮大なシーンを思い浮かべていました。文章から伝わってくる感情や情景を想像している状態にのめり込んでいたのです。
    恥ずかしい話ですが、AVを観るより官能小説の方が興奮していました。
    もっと昔、中学生の頃に新聞配達をしていた時もスポーツ新聞の官能小説を楽しみにしていました。笑

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    20代前半くらいの頃、暇すぎて携帯のメモに誰に見せる訳でもなく小説を書いていました。
    子供の頃から物語を想像するのが好きでした。
    それは今も変わらず、鮨も口の中の物語を想像して握らせてもらっています。