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見城徹

元・朝日新聞記者の外岡秀俊さんが亡くなった。 彼とは色々とあった。 彼が野性時代新人賞に応募したスパイ小説が面白かったため、本郷の彼の下宿に訪ねたのが最初の出会いだ。彼は東大法学部の4年生。白皙な青年だった。結局、野性時代新人賞には通らなかったが、3ヶ月後に[北帰行]が河出書房の文藝新人賞を受賞してベストセラーになった。 朝日新聞に入社して活躍した。小説は封印したようだった。新潟支局を皮切りに学芸部、社会部、ニューヨークやロンドン特派員を経て、ヨーロッパ総局長、東京本社編集局長を歴任して早期退職をした。30年以上前、朝日新聞の日曜版に「ヨーロッパ美術紀行」を書いていたが、その中の一回が楠田枝里子の[パンとサーカス]の一章に酷似しており、僕を含めて3人で西麻布キャンティで食事をし、事態を収拾したこともある。 最後に会ったのは[AERA]の記者として僕に取材に来た時で、僕の喋ったことと紙面に載った記事が僕に言わせると食い違っていて違和感を持った。黙っていたが、ほどなくして外岡秀俊さんから長い言い訳の手紙が来たが僕からはアクションはしなかった。その後、編集局長まで上り詰めたが、会うことはなかった。スキー場のリフトの上で急性心不全で亡くなったという。エンディングノートが残されていて、朝日新聞に宛てた遺書も読んだが、外岡秀俊さんらしい文面だった。 一つ大きな謎が僕に残る。ずっと感じていたことだが、外岡秀俊さんは自分の人生で一体、何をしたかったのだろうか?優秀な人だったことは間違いない。本当は何をしたかったのか?もう一回会って聞いてみたかった。合掌。

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