見城徹見城徹2023年10月08日 13:42↑ 道徳の授業の先生がまやかしの希望を説くような最悪の詩だと僕は思います。そんなことの果てに「サヨナラだけが人生だ」と于武陵は詩っているのです。寺山修司の11年前に生まれた吉本隆明に[少女]という詩があります。 えんじゅの並木路で 背をおさえつける 秋の陽なかで 少女はいつわたしとゆき遇うか わたしには彼女たちがみえるのに 彼女たちには きっとわたしがみえない すべての明るいものは盲目とおなじに 世界をみることができない なにか昏いものが傍をとおり過ぎるとき 彼女たちは過去の憎悪の記憶かとおもい 裏ぎられた生活かとおもう けれど それは わたしだ 生まれおちた優しさでなら出遇えるかもしれぬと いくらかはためらい もっとはげしくうち消して とおり過ぎるわたしだ ちいさな秤でははかれない 彼女たちのこころと すべてたたかいを 過ぎゆくものの肉体と 抱く手を 零細を たべて苛酷にならない夢を 彼女たちは世界がみんな希望だとおもっているものを 絶望だということができない わたしと彼女たちは ひき剥される なぜなら世界は 少量の幸せを彼女たちにあたえ まるで 求愛の贈物のように それがすべてだそれが みんなだとうそぶくから そして わたしはライバルのように 世界を憎しむというから 寺山修司にいつも思うのは「この人の世界への嫌悪と虚無は小手先だなあ」ということです。 パフォーマンスなんですね。短歌にはいいものもあるんですがこういう詩にはガッカリします。 てんあつを初め寺山修司ファンの方々には申し訳ありません。sandに対して悪意は全くありません。誤解なきように。
見城徹12時間前三上雅博三上雅博↑おはようございます。2019年11月の親父の投稿のリトークです。生きてたら辛くて苦しい。でも、圧倒的努力をする以外僕らには方法がない。それ以外でこの場面を切り抜ける方法を僕らは知らない。親父が「僕」ではなく「僕ら」と言ってくれるだけで、今日も立ち上がれる。本日も皆様、宜しくお願い致します。3133
見城徹5時間前三上雅博三上雅博皆様が日々思っていることや、感じていること。辛いことや悲しいこと。楽しいことや嬉しいこと。755で十色の息吹を感じています。皆様いつも有難う御座います。いつも心から感謝致しております。188