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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    おはようございます。11月11日。今朝も大阪の会員制の鮨店[mikami limited 50]、そのセカンドラインの居酒屋形態の[福や](ここは極上の鮨だけでなく、パスタやハンバーグ、カニクリームコロッケなど洋食も食べられます。勿論、誰でも店に入れるし、値段も安い)を経営する鮨職人・三上雅博がアップしてくれた2019年8月の僕の755をリトークします。↓

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    大学1年の夏休み、静岡県清水市に帰省した僕はほとんどの日々を初恋の彼女と過ごした。映画、ピクニック、海水浴、市立図書館、喫茶店、互いの自宅…。彼女は高校3年生。僕が中学2年生の時から1学年下の憧れの人だった。夢を見ているように幸せだった。あれから50年が経った。今も僕はなんとか生き延びて、死に向かう一方通行を歩んでいる。時間は残酷だ。あの50年前の甘美な夏休みは二度と戻って来ない。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2019年8月の親父の投稿のリトークです。

    「誤解と悪意と嫉妬の海へ!」
    この言葉身震いするほど格好良い。
    僕も行くぜ。無数の敵のど真ん中へ。

    今日も夜だけ福やで握ります。
    皆様本日も宜しくお願い致します。


  • 見城徹
    三上雅博三上雅博
    投稿画像

    かなかなさんに送って頂いた「ミニ見城徹」を福やの壁に貼らせて頂きました!

    福やにどんどん思い出が重なっていきます。
    かなかなさん!有難う御座います!感謝。

  • 見城徹
    MiRAIMiRAI

     ザクロのビジネスは私の若い頃の「たった1人の熱狂」だったと、今になって思えます。

     あの頃、私の睡眠時間は2.5時間。3時間寝たら大丈夫。30分短い2.5時間はちょっと辛かった。この30分を無理して削って仕事をしていた。土曜日だけ5時間寝て体力を調整。事務所の床に段ボールを敷いて寝るのは当たり前だった。
     こんな生活を何年続けたのだろう。もう忘れてしまいました。

     あの頃の私は基地外だったと思います。燃えていた自分がいたから今、見城さんの言葉に泣けます。三上さんに共振する。たいした結果を出せなかったあの頃の私をハグしたい気持ちです。

     有難う御座いますというより、背筋にずっと緊張を感じている今日この頃。
    嗚呼、先はまだ長い。ただ、755があるから戦えます。そんな気持ち。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博
    投稿画像

    銀座の寿司店で修行している方が親父の755を見て、わざわざ福やまで来てくれました。恐縮です。

    予約でいっぱいだったのですが、お店に来て頂いたのでお断りするのが申し訳なく、あまり時間は無かったのですが座って頂きました。話をしていたらびっくり。なんと東京から来てくれていました。一か八かで大阪まで来てくれたらしい。親父がよく行く寿司店で働いている方でした。凄い行動力。食べて頂けて良かったです。

    最後はお互い頑張りましょうと握手をして別れました。わざわざ大阪までお越し頂きまして有難うございました。
    またお会いできる日を楽しみに致しております。