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三上雅博

親父、本日はわざわざ大阪までお越し頂きまして誠に有難う御座いました。 待つのはまるで悠久の時。幸せな時間は刹那に過ぎてしまいます。 今日も親父に鮨を握れた! 僕にとって生きてて良かったと思える瞬間です。 このお店もなんとか三年が経ちました。節目となる日に親父に来て頂けた事を光栄に存じます。 鮨しかできない鮨馬鹿ですが、これからも日々精進して参ります。 親父、いつもいつも有難う御座います。涙

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    [アイ・オブ・ザ・タイガー]の曲に乗ってリングまでの道を歩き、リングに上がったら[アリ・シャッフル]をやる。これが滅多に言わない僕の夢です。

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2019年12月の親父の投稿のリトークです。

    親父は昨日もジムで連日トレーニング。久しぶりでも90kg上げれるなんて愕然とします。
    僕は80kgも上げれない。尊敬します。
    この頃もボクシングに明け暮れていた様子。
    ただただ、凄すぎます。
    格好良すぎたので今日は写真のリトークです。

    皆様、本日も宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博

    金をかけ勉強するのは良い事だ。
    義務教育にも金はかかるし、高校や大学まで行こうとしたら僕には想像も出来ない額になる。高校まで行かせてくれた両親に感謝している。途中で辞めて申し訳ないとも思っている。
    15歳で、人生で初めて出来た年上の彼女と同棲を始めた僕は、そんな事より金が欲しかった。まだ若い二人が荒野で生きていく為の力が欲しかった。
    だから高校に籍を置きながら学校へは行かず色んな仕事をした。
    その全てを給料が良い順番で決めただけ。
    15のガキが働かせてもらえるだけで有り難かった。
    仕事はなんでも楽しかった。大工でも土方でも工場でも、それぞれ夢中にはやった。
    でも僕には我慢が足りなかった。究極の我儘。自分勝手な思い込み。
    だから先輩と揉めたりして辞める事も多々あった。
    僕にとって最後に選んだ「鮨」だけが唯一続けられた仕事だ。いや、僕に残された最後の仕事が一番給料の安い鮨の道だっただけ。

    背水の陣だった様に思います。

  • 三上雅博
    三上雅博

    不平不満は必ずある。
    それをグッと抑え、目の前の問題に立ち向かう事で自分は少しだけ成長している。
    勝てなくてもいい。負けてもいい。
    失敗したって良いじゃないか。
    戦うだけが人生だ。