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三上雅博

親父、本日はわざわざ大阪までお越し頂きまして誠に有難う御座いました。 待つのはまるで悠久の時。幸せな時間は刹那に過ぎてしまいます。 今日も親父に鮨を握れた! 僕にとって生きてて良かったと思える瞬間です。 このお店もなんとか三年が経ちました。節目となる日に親父に来て頂けた事を光栄に存じます。 鮨しかできない鮨馬鹿ですが、これからも日々精進して参ります。 親父、いつもいつも有難う御座います。涙

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    三上雅博

    やりたくない。やりたくない。やりたくない。辛い辛い辛い。嫌だ嫌だ嫌だ。

    それでもやるしかない。
    これは覚悟なのか諦めなのか。

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2019年12月の親父の投稿のリトークです。

    親父の言葉は重みが凄い。
    たった一行の言葉で見ている方はハッとする。
    自意識から解放されたらきっとほとんどの悩みは無くなる。僕はいつまで経っても成熟できない。自意識に苛まれ、死ぬまでこうして悩み、苦しみ、戦う事が生きると言う事なのだろう。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博
    投稿画像

    強盗犯みたいな格好をしていますが仕込みスタイルです。笑
    若い頃は、目出し帽をニット帽代わりに折り込んでかぶり(わかるかな?)、雪かきする時だけおろして覆面状態に変身してた。
    映画「デビル」で主演のブラット・ピットがやってたのをずっと真似してた。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    51年前の3月を思い出す。高校3年の卒業式の日、清水南高校がある折戸海岸の砂浜を想い叶った一学年下の初恋の彼女と富士山の方向に向かって歩いた。それが初めてのデートだった。風が強かった。彼女の長い黒髪が僕の頬を撫ぜた。甘やかな香りがした。幸せの絶頂だった。僕の高校3年間の全てを知っている砂浜。僕は何十年かかってもこの砂浜に帰って来る。その時、そう決めたのだった。一年後、彼女も東京の大学に入学した。結局、4年間付き合って、2人は別れた。彼女との東京の日々は克明に覚えている。今でも一年に一度くらい、折戸海岸を富士山に向かってあの日のように歩く。あれから51年を生きた。あの日は二度と戻って来ない。なんだか無性に切ない。

    海風に 向かいて飛びし 冬鴎 富士の高嶺の 空ぞ悲しき

    ↑ どうしても文章を追加したかったので書き直して再アップしました。

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  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2019年12月の親父の投稿のリトークです。

    親父の文章を読める奇跡のSNS「755」。
    哀愁につられ、昔を思い返してしまいます。
    切なさを胸に、今日も茨の道をゆく。

    皆様、本日も宜しくお願い致します。