三上雅博のトーク
トーク情報三上雅博 見城徹見城徹 51年前の3月を思い出す。高校3年の卒業式の日、清水南高校がある折戸海岸の砂浜を想い叶った一学年下の初恋の彼女と富士山の方向に向かって歩いた。それが初めてのデートだった。風が強かった。彼女の長い黒髪が僕の頬を撫ぜた。甘やかな香りがした。幸せの絶頂だった。僕の高校3年間の全てを知っている砂浜。僕は何十年かかってもこの砂浜に帰って来る。その時、そう決めたのだった。一年後、彼女も東京の大学に入学した。結局、4年間付き合って、2人は別れた。彼女との東京の日々は克明に覚えている。今でも一年に一度くらい、折戸海岸を富士山に向かってあの日のように歩く。あれから51年を生きた。あの日は二度と戻って来ない。なんだか無性に切ない。
海風に 向かいて飛びし 冬鴎 富士の高嶺の 空ぞ悲しき
↑ どうしても文章を追加したかったので書き直して再アップしました。三上雅博 ちゅーそんちゅーそん タイのバンコク。指定の鮨屋に行く。そこにいるはずの大将がいない。いるのはタイ人の従業員達。大将に連絡すると、条件が合わないから行かないの一言。大将に教えてもらいながら実務を覚え、タイで鮨を握るはずだった。
一念発起して貯金を捧げ、学んだ鮨の学校。海外で寿司職人になれるという授業内容。最大のメリットは海外での就職先を斡旋してくれること。
海外で寿司職人。3ヶ月の授業で。あり得ないことが海外ならあるのかもしれない。そこに新たな生活を想像し、期待を膨らました。
魚の捌き方、シャリの握り方。学校で仲間もできた。お子さんが手を離れ、新しいことにチャレンジするお母さん。一緒にタイで頑張ろうと入学した後輩。
毎日が新鮮で充実していた。
「ちゅーそん、俺どうしていいか分からないよ。タイの従業員は俺に指示を求めてくるし。大将は来ないって言うし。日本人は俺ひとりだし。学校は対応してくれないし。」
長くは続かなかった。そして帰国した。
「ちゅーそん、俺寿司握れるように練習してるよ」動画を見せてくれた。ホームページを見せては「この先生が有名なんだよ」と楽しそうに話していた。
その輝きを続けて欲しかった。
簡単には習得できない職人の領域をビジネスにしてはいけないよ。