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三上雅博

父方の家系は全くわからない。 そう言う事には全く興味が無いらしい。 僕が知っているのは死ぬほど貧乏だった事くらい。祖父は縫製の仕事をしていたらしい。無口な祖父だった。あまり喋った記憶がない。 記憶にあるのはボロボロのマッチ箱みたいな長屋。そこに昔は6人家族で住んでいたと聞いて子供心に驚愕した。 僕が育ったオタモイ団地も狭かったけど、父の実家はさらに狭い。6畳一間くらいしか無かった様に思う。 冬になるとあんなに雪深くて凍てつく小樽でよく生き残れたものだ。 人間はどんな場所でもなんとか生きていけるんですね。

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    三上雅博

    面白がってお客様達が女将に占ってもらってます。中には大企業の社長も。苦笑
    そのうち「堀江の母」と呼ばれそうで怖いです。細木数子みたいになったりして。

  • 三上雅博
    三上雅博
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    明日この新刊が発売するらしい。
    もう予約済みらしい。
    まさか年内は常に2冊持ち歩くつもりか。

  • 三上雅博
    三上雅博

    女将(ゲッターズ飯田)の占いによると、僕の欲は「極めたい」しか無いらしい。後の欲は皆無でそんな人は中々いないらしい。
    そんな事、自分でもわかってる。笑
    でも女将はそれを調べて自分の中でなんだか納得できたらしい。それならよかった。

    今日は営業が無いので掃除しながら合間に755ばかりしています。

  • 三上雅博
    三上雅博

    親父も僕も、女将(ゲッターズ飯田)の占いによると同じ「金の時計座」らしいです。
    明日の新刊が出たらしばらく占い談義を聞くハメに。覚悟はしておきます。苦笑

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    藪医師とは僕がやり始めたばかりの755で知り合った。ただ熱心に755に投稿する都立駒込病院の無名の外科医だった。毎日のように午前中は消化器(特に大腸)の悪性腫瘍の手術をし、午後の診療勤務が終われば時にかなりの量の酒を飲み、それ以外は原稿を書いることが755から伝わって来た。僕のトークにやじコメして来ていて、僕も返信していたのだが、ある日、原稿を送りたいと言って来た。やむなく了承し、読んでみると書かずにはいられないものを抱えていることがよく解った。これはモノになると直感した。幻冬舎に来てもらって初めて会い、その原稿を手直しの上、出版することになった。それが[幸せの死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと]という藪医師こと中山佑次郎のデビュー作になった。その後、ベストセラーとなった[医者の本音]や処女小説[泣くな 研修医]などを矢継ぎ早に出版、医師としても福島県双葉郡の高野病院の院長を経て、今は福島県郡山市の総合南東北病院の外科医長として活躍している。藪医師と僕の関係は755がなければ成立しなかった。藪医師の結婚披露宴では僕が新郎側の主賓としてスピーチをした。
    755の奇跡だと僕は思っている。

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2019年8月の親父の投稿のリトークです。

    755の歴史のひとつを知る事ができました。ここでは色々な奇跡が起きている。
    親父と藪医師さんの物語。ベストセラー作家になるまでの軌跡。たった1人の熱狂は必ず奇跡を巻き起こす。信じて進め。目の前の事を圧倒的にやるだけだ。

    皆様、本日も宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博

    絶望的なハードルが怒涛の様に押し寄せる。振り返っても地獄。前を見ても地獄。
    そんな時、親父の言葉で僕は奮起し無数の敵のど真ん中へ飛び込んでいける。

    今日は親父の言葉に感動と感謝で涙が止まりません。親父、いつも有難う御座います。
    今後とも驕ることなく精進して参ります。

    「行く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」
         ーーー酒井雄哉大阿闍梨の言葉。

  • 三上雅博
    三上雅博

    狂気、極端、死ぬ覚悟。
    ただそれだけが僕の武器。
    燃え尽きるのがこの命。
    散るまで踊り狂うのみ。