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三上雅博のトーク
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  • 三上雅博
    三上雅博
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    親父、本当にお疲れ様でした。
    普段新聞を読まないのですが買いました。
    ゆっくり読みます。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    さっきまで吉本隆明[言語にとって美とはなにか]をパラパラと読み返していて、不意に吉本さんから、
    「僕の作品を一番解っているのは見城さんだよ」
    と言われたことを思い出した。幻冬舎を作って2年後ぐらいの時だったと思う。その時はただただ感激したが、正直何でそんなことを言ってくれるのだろうと不思議にも思った。他ならぬ吉本隆明その人が言っているのである。僕の部下の石原正康は吉本ばななさんと結婚生活を送っていたこともあって吉本隆明さんと話す機会はあったが、僕はそれまでそんなに話す機会はなかった。中上健次がいる和歌山県新宮市に吉本さんを僕がお連れした時があった。長く話したのはその時ぐらいだ。その後、僕が書いた原稿用紙80枚ぐらいの拙い吉本隆明論[自我の自立と思想の非立]を畏れ多くもお送りしたことはあったが、感想は何も言われなかった。読んでくれたかさえ解らない。手紙は4、5回は出したと思う。それらのことが関係しているかどうかは解らないが、大変に光栄なことを言われてその日は眠れなかった。[言語にとって美とはなにか]の「あとがき」にある編集者への謝辞は印象的である。吉本隆明がいかに正直で誠実で繊細で堅牢な人であったかがよく解る。とにかく僕は吉本さんの作品に励まされ、ほぼ毎朝、原稿用紙に向かっている。いつ完成するのだろう?原稿は書いては破る繰り返しである。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    [伊勢物語論]と[言語にとって美とはなにか]には共通点がある。
    どちらもヴァレリの言葉の引用から始まるのだ。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    恋唄         吉本隆明

    ひととひとを噛みあわせる曲芸師が 舞台にのせようとしても
      おれは信じない
      殺害はいつも舞台裏でおこなわれ 奈落をとおって墓地に
      埋葬される けれど
      おれを殺した男が舞台のうえで見得をきる 
      おれが殺した男は観客のなかで愉しくやっている
      おれは舞台裏で じっと奈落の底を見守っている けれど
      おれを苦しめた男は舞台のうえで倒れた演技をしてみせる。 
      おれが苦しめた男は観客のなかで父と母とのゆうに悲しく老いる
      昨日のおれの愛は 今日は無言の非議と飢えにかわるのだ
      そして世界はいつまでたってもおれの心の惨劇を映さない
      殺逆と砲火を映している。
      たとえ無数のひとが眼をこらしても おれの惨劇は視えないのだ
      おれが手をふり上げて訴えても たれも聴こえない
      おれが独りぽつちで語りつづけても 
    たれも録することができない
      おれが愛することを忘れたら舞台にのせてくれ
      おれが讃辞と富とを獲たら捨ててくれ
      もしも おれが死んだら花輪をもって遺言をきいてくれ
      もしも おれが死んだら世界は和解してくれ
      もしも おれが革命といったらみんな武器をとってくれ

  • 三上雅博
    三上雅博


    今日は遅くなりました。
    2019年10月の親父の投稿のリトークです。

    吉本隆明の詩が心に響きます。
    僕もこの世界でひとりぼっち。
    僕が死んだら世界は和解してくれ。
    今日も孤独と絶望の中で戦うだけ。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹
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    脇屋友詞も熱唱。僕も4曲歌いました。
    [Ginza脇屋]の料理を自由に食べることが出来て、スペースも素晴らしい。僕も早速、入会の申し込みをしました。嗚呼、癖になりそう。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    「涙が涸れる」  吉本 隆明

    けふから ぼくらは泣かない
    きのふまでのように もう世界は
    うつくしくもなくなったから そうして
    針のやうなことばをあつめて 悲惨な
    出来ごとを生活の中からみつけ
    つき刺す
    ぼくらの生活があるかぎり 一本の針を
    引出しからつかみだすように 心の傷から
    ひとつの倫理を つまり
    役立ちうる武器をつかみだす

    しめっぽい貧民街の朽ちかかった軒端を
    ひとりであるいは少女と
    とほり過ぎるとき ぼくらは
    残酷に ぼくらの武器を
    かくしてゐる
    胸のあひだからは 涙のかはりに
    バラ色の私鉄の切符が
    くちゃくちゃになってあらはれ
    ぼくらはぼくらに または少女に
    それを視せて とほくまで
    ゆくんだと告げるのである

    とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
    嫉みと嫉みとをからみ合はせても
    窮迫したぼくらの生活からは 名高い
    恋の物語はうまれない
    ぼくらはきみによって
    きみはぼくらによって ただ
    屈辱を組織できるだけだ
    それをしなければならぬ

  • 三上雅博
    見城徹見城徹
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    では、[涙が涸れる]は何に掲載されていたのか?三田祭のパンフレットだったか?
    勿論、吉本隆明の[涙が涸れる]は知っていたが、それを慶應大学公認の冊子に掲載した学生の心情に激しく僕が共感したのは間違いない記憶である。と思う。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    僕は慶應義塾の114回目の卒業生です。卒業する者全員の就職先と自宅の住所が記され、卒業生の応募原稿と、発表されている作家や詩人の作品などの転載で構成されたかなりぶ厚い冊子です。卒業生全員に配られます。
    僕は就職先の欄に[さすらいのギャンブラー」と記し、顰蹙を買いました。子供だったなあ、と思います。