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三上雅博

大川シェフの言葉に救われた。 「有名店で働いた事は無い」。 僕もそうだ。僕はそれを負い目に感じていた。将来を見据えて自分の職場を選んだ事がないからだ。その時の状況で自分と守るべき者が生きるために目の前の仕事をやっていただけだ。 どこで修行したのと聞かれたら返事に困る。負い目に感じてしまうのだ。 誰も知らない場所で自分と戦っていただけなのだから。 だから僕は有名店で修行してない事を払拭するほど努力しなければならない。 今も毎日が修行だと思っている。 15歳の頃から何も変わらない。 今までお世話になった職場には申し訳ないが、僕も大川シェフ同様に有名店で働いた事は無い。

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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    三上雅博

    北海道の千歳にある自衛隊基地のすぐ近くに外国人に売られた土地があり、そこは関係者以外立ち入り禁止と掲げられ、厳重に出入り口を硬められ、建物の屋根ではアンテナがぐるぐる回っていると教えていただきました。苦笑

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    『初恋』(2019.1.7掲載)
    静岡県立清水南高校。ずっと憧れていた1学年下の女生徒に卒業の直前に想いを書いて手渡した。
    東京の大学に合格し、彼女に何も告げずに高校を去って行くのはあまりにも後悔が残ったからだ。
    決死の想いは通じて、卒業式の日、校門前で待ち合わせて三保の松原まで海岸を2人で歩いた。それが初めてのデートだった。
    それから3週間、毎日会った。
    狐ヶ崎ヤングランドのスケートリンクで滑り、当時話題になっていた『若者たち』という映画を観、彼女の家の近くの丘にピクニックに行った。
    一時でも離れ離れになるのが怖かった。
    1969年4月4日。僕が東京へ行く日がやって来た。既に高校の授業は始まっていた。僕は1人でボストンバックを提げて、静鉄バスの小糸製作所前に佇んでいた。
    バスが到着した時、突然、彼女が走って来た。高校の制服姿だった。
    事情は解らなかったが、僕を見送りに来てくれたことは明らかだった。
    東海道線の清水駅まで2人でバスに乗った。プラットホームに立って、手を握り合って列車を待った。晴れてはいたが、強い風が冷たかった。
    言葉はなかった。2人とも泣いていた。全身が痺れるような切ない時間だった。
    50年が経ち、68歳になった。幾つかの恋をして、肉親や何人かの友人の死を見送った。自分の会社を立ち上げ、上場し、上場を廃止した。
    しかし、立ち尽くしながらあれほどまでに長い時間、涙をボタボタと落としたことは一度もない。

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  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2019年1月の親父の投稿のリトークです。

    親父の文章を読むと、情景も、心情も、匂いも、温度まで伝わってくる。
    切なくなったり、悲しくなったり、嬉しくなったり、楽しくなったりする。
    どうにも止まらない。心が活発になる。

    静岡新聞夕刊[窓辺]の親父の連載エッセイの続きが楽しみだ。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    ↑ えっ?2回目、3回目と、最終回までリトークを続けるのか?まさかね(笑)。この静岡新聞の連載エッセイは全て静岡を意識して舞台にした。何を書いたかは半分は忘れた。評判が頗る良かったのを覚えている。

  • 三上雅博
    三上雅博


    親父いつもリトーク有難う御座います。涙
    第2回目まで見させて頂きましたが、ひとつずつに感想を書かずにはいられません。
    まるでドラマを観ている様に映像が頭に浮かびます。
    刻んだ投稿になってしまい申し訳ございません。朝刊ミカミで親父のエッセイを連載させて頂きます。笑

  • 三上雅博
    三上雅博
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    今日は夢の様な一日でした。
    余韻に浸っています。

    この感動をまだ言葉にできないので、もう少しだけ酔いたいんです。

  • 三上雅博
    三上雅博
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    僕「も」日本一美味しいと思うハンバーグ。
    本当に感動しました。

    今日は一日中親父にお付き合い頂きました。
    そして沢山ご馳走になってしまいました。
    親父、本日はお忙しい中お時間頂戴致しまして誠に有難う御座いました。涙

    嗚呼、感動。感激。感謝。

  • 三上雅博
    三上雅博
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    ハンバーグ、本当に美味しすぎました。
    美味しい。美味しい。美味しい...。

    肉肉しいのにジューシーすぎる。
    心に染みるハンバーグに感動しました。