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三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    おはようございます。10月28日。今朝も会員制の鮨店[mikami limited 50]、そのセカンドラインの居酒屋形態の[福や](ここは極上の鮨だけでなく、パスタやハンバーグ、カニクリームコロッケなど洋食も食べられます。勿論、誰でも店に入れるし、値段も安い)を経営する鮨職人・三上雅博がアップしてくれた2019年2月の僕の755をリトークします。↓

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    静岡新聞、僕の連載コラム[窓辺]です。
    『成生』(2019.2.25掲載)

    東京駅発16時3分ひかり479号に7人で乗る。17時4分に静岡駅に着く。用意していたバスハイヤーに乗って葵区鷹匠にひっそりと佇む店に入る。カウンター7席のみ。至福の時の始まりだ。
    大阪に僕が西日本で一番美味いと思っている『カハラ』という店がある。そこのオーナーシェフの森さんに「見城さんの故郷に日本一美味しい天麩羅屋があります。是非行ってみて下さい。」と言われたのが『成生』を知った最初だった。
    「天麩羅とはこんなに美味いのか」と天麩羅の概念が変わった。以来、2ヶ月に1回のペースで通い続けている。
    秋元康、小山薫堂、福山雅治、熊谷正寿、堀江貴文、藤田晋、前澤友作、小泉純一郎氏ら、各界の色んな方をご招待しているが例外なく全員が感嘆の声をあげてくれる。
    往復の新幹線、車のチャーター代、食事代はもちろん僕持ち。7人のカウンターを貸し切りにして僕の接待の切り札として使っている。
    魚介も野菜も静岡産にこだわっている。季節によって揚げる素材も変わる。
    新たまねぎ、ヤングコーン、あさはたレンコン、大浦牛蒡、メークイーン、鯵、鰆…。2つの鍋を使い分けて余熱まで計算して絶妙のタイミングで供される。
    味を閉じ込めるというのはこんなに旨味が増すということを初めて体験した。
    1年前から予約を入れるのだが、それでも取りにくい。死ぬまでにあと何回通えるだろうか。店主・志村さんの天麩羅は僕の生き甲斐の1つになっている。

  • 三上雅博
    三上雅博三上雅博


    おはようございます。
    2019年2月の親父の投稿のリトークです。
    静岡新聞[窓辺]に掲載された親父の連載コラム第7回『成生』。

    この話は親父から直接聞いた事がありましたが、さらに詳しく知れて嬉しく思います。
    親父の概念を変えるほどの天麩羅。
    「カハラ」のオーナーシェフの森さんは料理界のレジェンドです。その人が日本一と呼ぶ天麩羅。
    一体どんな天麩羅なのか、僕には想像もつきません。

    僕も親父に紹介できる店がないかずっと考えている。感謝を形にしたくて、色んなお店で一緒に食事している場面をいつも想像する。
    僕には親父に自信を持って勧められるお店が思い浮かばない。
    そもそも僕と同じベクトルで親父に接してくれる人でなければ紹介できない。
    僕は今日も絶望の中を彷徨うだけ。

    皆様本日も宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博

    昨日のパーティはやま幸メンバーと一緒に過ごしました。
    「今日、三上さんと話せて良かったです。感動しました。これからも頑張ります」。
    やま幸入社2年目の彼が涙を浮かべながら僕に言ってくれた言葉です。
    こちらこそいつも感動させてもらって感謝しかありません。
    これからも宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博


    前々から繋がりはあったが、雇われている間は決して「やま幸」の鮪は仕入れしなかった。自分でそう決めていた。
    定めた原価で買える鮪だけをお願いするのが嫌だった。値段のことを言いたくなかった。僕が山口社長の選んだ鮪を使うなら、ただ純粋に誠実に駆け引き無しでその鮪を仕入れたい。だから3年前、今のお店を始める際に初めてやま幸と取引させてもらった。
    それ以来、今まで仕入れた鮪の紙を全て取って置いてある。この物欲の無い極端な断捨離人間に捨てられない物が存在する事自体が奇跡だ。
    そして今はその紙の一部を「福や」と言う居酒屋の壁に貼ってある。
    そんな話をしました。

  • 三上雅博
    三上雅博
    投稿画像

    赤身部分まで細かくサシが入っているのがわかりますか?季節が、環境が、自然が生み出す「奇跡」です。
    山口社長は鮪の握りを毎朝毎朝食べている。
    僕も鮪のひとかけらを、毎日毎日そのまま生で食べている。そして漬けにしてからひとかけらを食べる。あとはその鮪に合わせたシャリを用意してシャリだけで食べている。僕は自分のためにも味見のためにも自分で食べる鮨を握らない。ただ、味をひとつひとつ組み立てて口の中で体感する物語を作っていく。そうしてひとつの鮨が出来上がる。その鮨と言う名前がついた物語は食べた人に感動してもらえるのか。そればっかりを考えている。