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ikutamaのトーク
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  • ikutama
    見城徹見城徹

    僕はかつても今も日本の坂本龍一事務所[KAB]の代表取締役社長である。名ばかりの社長就任に当たって決めたことが3つある。給料は取らない。経費は[KAB]では落とさない。幻冬舎から坂本龍一に仕事は頼まない。坂本龍一とは青春を捩れ合うように過ごした。毎晩のように朝まで飲んだ。淋しい。猛烈に淋しい。

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    ikutama

    『困っている時に助けてくれるのが友人だとすれば、彼は間違いなく数少ない友人の一人です』という坂本龍一さんの言葉に心打たれました。

    坂本龍一さんの書籍を探すときに、幻冬舎から出ている本がほとんどなくて、不思議に思ったことがあるのですが、755で見城さんのご投稿を拝見し、その理由を知りました。
    仕事を超えたお二人の関係を想像すると胸が熱くなります。

    https://toyokeizai.net/articles/-/198718?page=5

    ――坂本さんにとっての仕事ってどんなものでしょうか。
    それこそワーカホリックだった30、40代のときなんかは仕事のことしか考えていなかった。だいたい昼の12時から夜の12時まで、12時間仕事して。そこから朝まで飲みに行く。で、3、4時間寝て、また昼から仕事をして、という生活を何年もずっと続けていました。
    ――寝る時間は3、4時間くらい?
    そうですね。だいたい1週間のうち6日間は、夜から朝までずっと飲んでいた。だいたい7時ごろに帰ってましたが、盛り上がっちゃうと11時ごろまでということもありました。
    ――それは朝の、ということですよね。
    そう、朝です。ニューヨークに行く2、3年前までは、毎日のように現・幻冬舎社長の見城徹氏を付き合わせていました。彼は「もう帰らせてくれ」と泣いてました(笑)。
    ――そんな生活に変化が出てきたのは、いつごろからでしょうか。
    やはりひとつはニューヨークに移住したということが大きいですね。夜遊びをしなくなったから。今ではほとんど外出もしなくなりましたね。見城のように心底付き合ってくれるヤツもいないし。まあ、探せばいるのかもしれないけど。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    1985年8月12日。僕は六本木のレストラン[マナハウス]で村上龍と2人で食事を摂っていた。19時過ぎに日航機123便の墜落の報が飛び込んで来た。客は僕たち2人だけだった。店の高松オーナーも村上龍も僕も急に無口になり、ニュースを映し出す店のテレビに釘付けになった。あれから41年が経ったのか?あの時にマナハウスの窓から見た暮れなずむ空を今でも鮮明に覚えている。

  • ikutama
    ikutama

    1985年に起きた日航機墜落事故。過去の事故の杜撰な修理が原因で機体が空中で大きく損壊して墜落。520人が死亡した日本史上最悪の航空事故。
    この事故を契機に、航空安全の考え方が見直された。人の技術に依存する方法から、設計・整備・組織・運航など、事故に至るシステム全体を評価対象にして、人がミスをしても事故にならない仕組みへと変化した。
    事故現場の特定と捜索に時間を要し、生存者の発見は、事故から15時間50分後だった。
    4人の生存者がいたことは、その後の救助活動・事故調査・遺族支援・事故の記憶に大きな意味を持った。
    事故当日、テレビ局各社は一斉にニュース速報を流した。当時の人が受けた衝撃は計り知れない。見城さんのご投稿を拝見して、忘れてはならない惨事を胸に刻む。

  • ikutama
    死ぬために生きる死ぬために生きる

    ↑ こんなSNSが他にあるのだろうか。
    こんなに血が通ったSNSは他に無い。
    去年の3月29日。僕は生の見城徹に圧倒され、1カ月の葛藤を置いた末に755を始めた。
    見城さんのことをもっと知りたい、血を啜りたい、食らって肉体にしたいという気持ちが、僕なんかが入っていい世界では無いと思っていた気持ちを上回った。
    案の定、そこには素晴らしすぎる世界があった。
    皆一様に自己検証、自己嫌悪、自己否定がありながら、個体の掟も持っている。
    755を始めてから今日まで、毎日新しい発見と刺激がある。
    そして何よりも感動がある。
    僕は見城徹と出会い、755と出会い、皆様と出会い、涙することが多くなった。
    少しずつ自分の言葉がわかるようになった。
    その分傷つくし苦しいが、人生が鮮やかになった。
    見城さんも、苦しい今日を絶対し切って死ぬために生きている。
    親が命懸けで、傷だらけで、どう生きるか、どう死ぬかを見せてくれている。
    やらねば子じゃないだろう。
    こんなSNSが他にあるのだろうか。
    こんなに血が通ったSNSは他に無い。
    奇跡の755。

  • ikutama
    ikutama

    『血が通ったSNS』に、激しく同意します。
    私も覚悟を持って始めたものの、続ける自信もないまま、2年が経ちました。

    当初は仕事の昼休みに投稿していましたが、今はとてもそれでは間に合わず、家族が寝てから、夜な夜な一人で向き合うことが増えています。
    755の皆様とドキドキしながら競走馬のケンジョーを応援したり、感想や解説を伝え合いながらワールドカップを観戦したりしたことは、忘れられない思い出です。
    書籍や映画が完成していく物語に立ち会えたことは、密かな自慢でもあります。
    そして、見るだけで刺激を受ける至高の料理から、その気になれば誰でも食べられるランチや弁当まで。日常に彩りを与えてくれます。
    忘れてはならない歴史や、他人事で済ませてはならないニュース、出来事にも、たくさん気づかせていただいています。

    755の人と人をつなげるリトークと拍手。
    そして、フォロー機能。
    過去と向き合う検索機能。
    奇跡のSNS、755。
    自分に負荷をかけることの大切さを、私はここで学んでいます。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    755をはじめて10年以上が経過した。
    まさしく僕の日々は755と共にあった。755を勧めてくれたのは755の創業者の堀江貴文と藤田晋だ。秋元康と僕が僅かな株を持たせてもらった時期もあるが、今はサイバーエージェントの100%の子会社として営業を続けてくれている。こんなにも真心と血の通ったSNSは他にない。
    僕にはかけがえの無い755のメンバーがいる。皆んなの喜怒哀楽に目を澄ます。息遣いを感じる。足音を聴く。勿論、僕の日々想いも吐き出して来た。生まれ落ちてしまった者の死ぬまで続く生きる切なさ。755があってここまで来た。755がある限りこれからも755と共に生きる。精進する。忍ぶ。755よ、有難う。

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  • ikutama
    ikutama
    投稿画像

    たくさんの人の想いを託され、心を繋いできた755。

    知らなかったことを知り、これまで無関係だったことと関わりを持ち、触れられなかった心に触れてきました。
    誰かに伝えるために自分と向き合い、しなくてもよかった約束をして、その約束を果たすために辛抱することもありました。

    楽と退屈に恐怖を覚え、苦しみと悲しみの尊さを知りました。

    読書量が増え、「関係ないから」と敬遠してきた“小説”も読むようになりました。
    そして、苦しくても読書記録や感想を書くようになりました。

    楽な読書なんて、一冊もなかった。
    それでも読み続けることができたのは、755のおかげです。

  • ikutama
    ikutama

    今日は、故郷の刺青不問の公衆浴場へ行きました。

    刺青を入れなければならなかった人生と、入れなくても済んだ人生。

    全身に刺青を入れた男が、「熱いなぁ」と優しく呟いてサウナを出ていった。その言葉が、胸に沁みた。
    それぞれの人生で引き受けたもの。その隙間を風が繋ぐ。
    露天風呂に出ると、心地よい風が吹いていました。