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ikutama

今、三島由紀夫の「葉隠入門」を読んでいる。「葉隠」をこの本で知ったので、三島の解釈が一般的なものなのか、私にはわからない。ただ、“生が保証される”と“生に飽きる”という人間の本質を据え、『毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いわば同じことだ』という思考に一つの説得力を感じる。 1970年の今日、民主主義の時代を生きた三島由紀夫は武士として死んだ。

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ikutamaのトーク
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  • ikutama
    見城徹見城徹
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    10年前の本[たった一人の熱狂]がAmazon総合44位にアップした。もうちょっと上に行きたい(笑)。

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    3月に退職する後輩に贈るためにアマゾンで注文しました。私も再読して自己検証します。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    時間が流れてゆくのが痛い。ユーミンの[12月の雨]の歌詞を思い出す。

    「時はいつの日にも 親切な友達
    過ぎてゆくきのうを 物語にかえる」

    時は直ぐに昨日になる。人間の喜怒哀楽を呑み込んで、切ない物語になる。死だけが物語を終わらせる。その運命の日まで生きる。

  • ikutama
    ikutama

    時は喜怒哀楽の全てを物語に変える。“過ぎた”ことに気づけば切なくなる。未来だった今日が、あっという間に過去になる。時はいつの日にも親切な友達。物語がそっと自分を変えていく。生きていれば変わっていく。変わるために生きている。

  • ikutama
    ikutama
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    『京カルネ』1975年頃から「志津屋」の人気商品で、京都人のソウルフード。週末には一日8000個売れるらしい。テレビ局の調査では、カルネの認知度は、東京0%、京都96%。
    “志津屋”は創業者の堀信氏が、愛妻・志津子さんの名前から命名した。
    いつまでも変わらない、完成された定番商品。

  • ikutama
    見城徹見城徹

    32歳の夏の丁度今頃。当時の恋人とのドイツ旅行は鮮やかに記憶に残っている。1ヶ月の休暇を取ってベルリン夏季大学の美術の講座を受講していた彼女と西ベルリンで落ち会って、8日間のドイツ国内の田舎を鉄道で巡る旅に出たのだ。ドイツの小さな町々は時間が止まったように中世の面影を残して佇んでいた。家族経営のホテルに泊まり、歴史的遺跡を辿り、ホフブロイハウスで他の客と肩を組んでビールを飲んだ。陽はなかなか落ちず一日が長かった。
    彼女はドイツ語が堪能で全てが快適だった。
    西ベルリンで買ったジョルジオ・アルマーニの革のブルゾン。馬車に乗って訪ねた霧のノイシュヴァンシュタイン城。異世界に酔い痴れた移動サーカスのテント……。あの夏は二度と戻って来ない。

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    ikutama

    それぞれの場面の景色、音、空気、匂い、動きを想像し、感じる。まるで自分が体験したような気持ちになる。ふと思い出した思い出をこんなにもさりげなく、豊かに伝えられる。思い出すこと、味わうこと、伝えること、全てを学びたい。

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    見城徹見城徹

    この季節になると[京味]の「鱧鍋」を食べたくなる。9月の下旬から10月の初旬。鱧が消える頃、松茸が出始める。淡路島の鱧と丹波の松茸。京都ではこの2つが重なる日は10日ぐらいしかない、と[京味]の西健一郎大将は言う。8月末になるとその10日間のどの日にするか?と西健一郎大将から電話が入る。2階の個室をキープするのだ。そうやって45年間毎年[京味]で鱧鍋を食べて来た。鍋の前の料理も全て鱧と松茸。僕は鱧も松茸もそんなに好きではないのだが、1年に1回は[京味]で「鱧鍋」を食べて来た。それを夏が終わり秋が来る通過儀式としていたのだ。2年前からそれは無い。大将は亡くなり、「自分がカウンターにいない店は『京味』ではない」と言う生前の言葉通りに[京味]は閉店した。8月が終わりに近付くと西健一郎大将の電話の声を思い出す。

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    ikutama

    京味について調べる。
    西さんは、自ら客のコートを預かり、皿洗いもして、本当によく働いた。身体を悪くした後も、細やかな気配りを続けていたという。
    秋元康さんは著書で京味鱧松茸鍋を紹介した後『旨い料理は人生の様々な思い出とともにある。大切なのは味だけではない。店の佇まいや主人の気迫、ともに食べる人、食後の余韻さえその印象を大きく変えるのだ。』と書いている。
    “「自分がカウンターにいない店は『京味』ではない」”という言葉の重みを感じる。そしてまだ西さんは、それぞれの中で生き続けている。