K0183のトーク
トーク情報- K0183
K0183 見城さん、いつもあたたかいお心遣いを賜り、誠にありがとうございます。
年商でもない。
資金調達額でもない。
本物かどうかは、どれだけ利益を出しているかで分かる。
見栄や演出や景色の良い数字を、一刀両断する言葉でした。
小さなことに徹底してこだわりながら、同時に大きな勝負をしている人にしか、風も熱も起きない。
その振れ幅。
そのスイング。
手術室に入れば、肩書きは外される。
残るのは、指の動きと、判断の速度と、術後の成績。
術中の糸一本、止血一点。
口先ばかりの者は、必ず足元から崩れる。
集めた数字は、飾れる。
積み上げた利益は、誤魔化せない。
風を起こすのは大言壮語ではない。
足元の執念が、遠くの景色を動かす。 K0183 久々原仁介久々原仁介 ![投稿画像]()
小説を書くということについて。
小説を書くという行為は、誰かに評価されるためだけのものではないと思っている。むしろ、自分でも持て余してしまう感情や、うまく言葉にできなかった記憶や後悔を、どうにかしてこの世界に残そうとする行為に近い。しかしその表現方法もよく考えると、正しいものではないような気がする。僕にとって執筆は世間に対して顔向けしづらい、なんだか後ろめたさを煮詰めた爆弾のようなものに近い。
楽しいから書く、という瞬間ももちろんある。けれど実際には、それだけでは続かない。書かずにはいられない何かがあるから、時間を削ってでも向き合ってしまう。時間とは、人生そのものだ。この時間があれば、両親にもっと親孝行できるのかもしれない。仕事に打ち込めて出世できるかもしれない。大切な人たちと向き合えるかもしれない。
そんな大切な時間になり得たかもしれない。
けれど書いている間だけは、自分の弱さや醜ささえも肯定できる気がする。
だから小説は、とても不器用な表現だと思う。遠回りで、時間もかかるし、読まれる保証もない。それでもなお、誰か一人に届くかもしれないと信じて書く。その“かもしれない”に、自分の時間や人生を賭けている。
もし読んでくれる人がいるのなら、その人の中にほんの少しでも何かが残ってくれたらいい。それが救いになるのか、傷になるのかはわからないけれど、それでも確かに触れた証として。
書くということは、世界とつながろうとする、ささやかな抵抗なのだと思う。
