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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    斉藤徹斉藤徹

    昔の僕は、与えられたら返す人ではありましたが、自分から先に与える人ではありませんでした。相手が与えてくれる人だと分かってから返す。
    あるいは、与えてもらってから返す。そんなスタンスでした。振り返ると、その姿勢が自分の成長をどこかで止めていたのだと思います。
    あるとき見城さんに言われました。
    お前のそのクールでドライなやり方でも、ここまでは来たよな。その計算高さで、10億の利益までは出せた。でも、もし100億の利益を出す世界に行きたいなら、その計算高さは捨てた方がいい。
    クールでドライであること。そして計算高さ。
    これは経営の初期ではむしろ強い武器です。
    合理的に判断し、損をしないように意思決定をしていけば、会社はある程度の規模までは成長します。ただ、ある段階で壁にぶつかる。
    人がついてこない。応援されない。大きな流れが起きない。
    そのときに必要になるのは、計算ではなく信頼なのだと思います。
    見城さんが言った「計算高さを捨てろ」という言葉は、計算するなという意味ではなく、損得より信頼を取れ、ということだったのだと思います。
    最初は正直ドキッとしました。でもその言葉を受け入れることができたのは、見城さんが100%僕のことを思って言ってくれていると分かっていたからです。そこにはすでに信頼関係がありました。
    だからこそ、自分の考え方を変えようと思えました。今は、できるだけ自分から先に与える人でありたいと思っています。
    もちろん人間関係は一方通行では続きません。ただ、まず自分が与える側でいる。その方が、人も集まり、物事も大きく動く。最近はそんな実感を持つようになりました。
    信頼は、計算の先には生まれない。
    先に差し出したものの上にしか、生まれないのだと思います。そして振り返ると、自分が一番苦しかった時に手を差し伸べてくれた人たちは、誰も計算していませんでした。
    だからこそ今は思います。与えるということは、誰かのためであると同時に、自分の人生の幅を広げることでもある。そしてそれを続けるには、覚悟がいるのだと思います。

  • 見城徹
    望月輝子望月輝子
    投稿画像

    月1発行の業界紙の一部に掲載いただきました。卒業前の良い記念になりました。

    末尾の「生きるという営み」という言葉。
    見城さんの文章でよく目にする表現です。

    この言葉を思い浮かべると、自分の鼓動を感じます。今日を生き抜こうとする力や、
    人を思う気持ちが静かに湧いてきます。
    暗闇の中でジャンプできることさえ、有難いと思えるようになりました。

    眠る前にこの言葉で自問自答する時間が、
    今の私を整えてくれています。

    言葉は、誰が使うかで重みが変わる。
    血肉となった言葉に出会えたことを、
    大切にしていきたいと思います。