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見城徹

これが[つか芝居]だ! 第5回目の幻冬舎Presentsである。 40年以上前、青山にあったVAN99ホールの最後の1年から、新宿紀伊國屋ホールに進出して3年くらいが[つか芝居]の最盛期だった。 涙と笑いで劇場が揺れていた。外は入れない客で溢れていた。あの感動と興奮と熱狂を、何としてももう一度再現したい。そう思い続けて来た。 舞台は料理と同じようにその時々で消えて行く。季節や天候、役者たちの体調や観客の気分。上演された時間や劇場によっても全く違った出来になる。 ビデオではその空気感は全く伝わらない。芝居とはその時一回きりのものであって、再現不可能なものなのだ。 しかし、それでも僕はあの全盛期のつかこうへいの舞台の感動と興奮と熱狂を、今を生きる人々に全身で味わってもらいたいという欲望を捨て去ることが出来なかった。幻冬舎Presents横内謙介脚本・演出の「つか版 忠臣蔵」と「郵便屋さん、ちょっと」ではその目的は達成できたと思う。 今回はタイトルをつかこうへいに借りたものではなく、横内謙介の完全書き下ろしである。例えば40年以上前の「松ケ浦ゴドー戒」。それに続く「熱海殺人事件」。「初級革命講座 飛龍伝」。「ストリッパー物語」。「蒲田行進曲」。短い期間につかこうへいが立て続けに放った神の恩寵のような舞台は今も僕の胸を熱く焦がす。 横内謙介劇作家40周年記念作品「無謀漫遊記-助さん格さんの俺たちには明日はない-」はどれだけの衝撃で僕たちの臓腑を抉るだろうか? この文章を書いている10月9日、横内謙介から脚本は送られて来たが怖くてまだ内容は読んでいない。いっそのこと読まないで初日を震えて迎える方が真っ当だと思い始めている。 つかこうへいと時間を分かち合った演劇の聖地・新宿紀伊國屋ホール。つかこうへいよ、再び降臨せよ!横内謙介と役者たち、そして僕が命懸けでつかこうへいに捧げた舞台の幕が、今、上がる。 幻冬舎 見城徹 ⬆︎ 当日のパンフレットに書いた僕の文章です。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹

    朝から悩んでいる。何かに悩んでいるとかでは無しに、歳を重ねること自体に悩んでいると言った方がいいかも知れない。若い時は問題にならなかったことが、この歳になると問題になる。65歳を過ぎたあたりから歳を取ることの苦しさが身に沁みて来た。石原慎太郎さんは73歳の時はどうだったんだろう?と思い出してみる。自分と奥様の死後に出版して欲しいと託された石原慎太郎さんの自伝[「私」という男の生涯]をパラパラとめくる。読む度に新鮮な発見があるが、当然ながら答えは出ない。加齢。老化。厳粛な事実。ボクシングのトレーニングを始めてもそれには逆らえない。
    「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
    [方丈記]の冒頭が胸に刺さる。

  • 見城徹
    三上雅博三上雅博

    今日もまた奇跡の様な素敵な物語がありました。

    僕と女将がずっとコンビニを梯子してまで探し求めていた「ぷるるん食感 黒みつわらび餅」を本日遂に念願が叶い、食べさせて頂く事が出来ました。シンプルで甘さ控えめで食べ飽きない優しい味。そして手も汚れない様に食べやすくなっている!すぐ売り切れるのも納得です。
    とても美味しく頂きました。
    皆様、教えて頂きまして有難う御座います。

    実は、ある方々にご厚意で送って頂きました。二人の方から同時刻に同じ物が届きました。755で僕の投稿を見ていた「望月さん」と「Michiさん」が送って下さったのです。涙
    本当に開けてびっくりしました。そこには沢山の黒みつわらび餅!お心遣いに心から深く感動致しました。涙

    DMでお礼させて頂いた際に、同じ時間に同時に送られてくるなんて、お二人でご相談でもされていたのか聞いてみた所、それはたまたまの偶然だったのです。同じ時、同じ事を思って頂いていたのですね。
    また「755の奇跡」を目の当たりにさせて頂きました。
    貴重なお時間の中で僕達みたいな人間にまでお心遣い頂きまして感謝して御座いません。心より御礼申し上げます。

    お二人のお気持ちが本当に嬉しくて泣けてきました。いつも僕の拙い文章にお付き合い下さいまして誠に有難う御座います。
    まだまだ若輩者では御座いますが、日々精進して生きて参りますので、今後ともどうぞご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。