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見城徹

静岡県清水市吉川450。僕が生まれ育った小糸製作所静岡工場の社宅の住所だ。そこから僕は清水市立有度小学校と清水市立第七中学校に徒歩で通った。記憶では有度小まで子供の足で30分、七中には有度小を通り越して45分ぐらいかかった。高校は静岡県立清水南高校。小糸製作所前のバス停から三保行きの静鉄バスに乗って高校のある西折戸駅まで40分ぐらいだろうか。映画を観ていると地方の町を舞台にしている映画が多い。僕もあの頃、静岡県清水市で懸命に生きていた。家と学校だけが自分の世界の全てだった。その中で泣き、笑い、怒り、恋をした。どの映画にもあの頃の自分がいる。清水市から出て東京で暮らすなどと考えてもいなかった。時間が経った。遠くまで来た。映画を観ていると自分の人生を思う。誰もが生まれて生きて死んでゆく。なんだか切ない。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    てんあつ.てんあつ.

    人生は徒労と空騒ぎと、無駄骨を折りながら最期は棺桶。骨だけが残るという皮肉。
    果てしのない暗闇と果てしのない無常だけであったと思うしか無いのが人生なのか。

    それでも感謝する。この無常を味わうことが出来た人生に。手を合わせることでしか救われない。

  • 見城徹
    てんあつ.てんあつ.

    母が息を引き取った時、目尻から一筋の涙が零れた。
    その時に、「ああ、これが人生なんだ」と悟った気がします。

    何も持たず、闇に帰る。これが人生なんだと。

  • 見城徹
    てんあつ.てんあつ.

    それでも死んだ人間より生きている人間を大切にしたい。
    父の朝飯の準備に取りかかります。朝の味噌汁を楽しみにしているので。

  • 見城徹
    見城徹見城徹

    映画[アンダードッグ]のラストのランニング・シーンを思い出している。あれは堪らない。アンダードッグは今日も走る。走るしかない。
    走っていればやがて勝者になれるかも知れない。戦うということは自分を追い詰めて、追いつめて、自分に勝つことだ。試合に負けても勝者になることは出来る。そのために走る。負けても、絶望しても走る。最後の瞬間に「それでよし」と微笑むために。

  • 見城徹
    藪 医師(中山祐次郎)藪 医師(中山祐次郎)

    本当に、狂気のキューバナイトでした。見城さんに義理を尽くす森さんと藤井さんのお姿は美しかった。ああ、自分もこうやって生きたい、こうやって生きなきゃ、と絶品のキューバサンドを頬張ったのです。皆さんの感想やコメントには敵いませんが、一昼夜経った今でもまだ口の中にポークとピクルスの競演が残っています。うう、また食べたい!!!!!!!!