ログイン
詳細
見城徹

鮮やかな結果を出すためにはとにかく無謀を演出することだ。だから圧倒的不利に見える状況を選ぶ。圧倒的努力をすれば少しずつ岩は動く。やれることは全部やって、6対4で勝てるところまで持って来る。最後は火事場の馬鹿力を出すだけだ。精神を研ぎ澄ます。ここまで来たら集中力で岩は転がる。勝てば官軍、負ければ賊軍。勝ち続ければ鮮やかな結果はブランドになり、伝説になる。いつの間にか歴史になったら最高だね。

前へ次へ
見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹
    投稿画像

    同じく今朝の朝日新聞の書評欄。何で書評委員のアート作品を書評欄に載せなければならないのか?鏡を使って読め?僕には意味不明。

  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 新聞としての役割を朝日新聞は放棄しているとしか僕には思えない。書評をアート作品にして何の意味があるのだろう?読めない書評。鏡に写して苦労して読むのか?こんな疑問を呈する僕が時代遅れなのか?朝日新聞が進んでいるのか?どっちなんだろう?

    2
  • 見城徹
    見城徹

    ↑ 毎週土曜日、朝日新聞の書評を僕は楽しみに待っている。びっくりしたなあ、もう。びっくりさせることが狙いならその目的は達している。

  • 見城徹
    ikutamaikutama

    好奇心で鏡を使わず読みました。その後、しばらく普通の文章が普通に読めなくなり、後悔しました。面白いけれど、意図せずスピードが落ちる。これが頭が柔らかくなるということなんですね。

  • 見城徹
    見城徹

    僕は横尾忠則さんの自己満足に朝日新聞は利用されただけのように思えるのだが……。
    勿論、書評とは批評対象をダシにした個体の表現である。この書評が表現というアート作品だとしても、朝日新聞の書評欄でやる必要があったのだろうか?しかし、こんな風に僕に考えさせているだけでこの試みは成功しているのかも知れない。
    僕はこの試みを否定する。書評は読めなければ意味がない。書評はアートではない。