ikutamaのトーク
トーク情報ikutama 見城徹見城徹 静岡新聞夕刊、僕の連載コラム[窓辺]第12回『19のままさ』(2019.3.25掲載)
最終回である。「初恋」の結末を書かねばならない。
1年遅れて彼女も東京の大学に入学した。渋谷か新宿で待ち合わせ、映画を観、喫茶店で粘り、ささやかな食事をし、一緒にデモに参加した。アルバイトも常に一緒だった。
しかし、僕が出版社に就職してから周りの景色が変わって来た。彼女は卒業したら清水に帰らなければならない。僕は東京で編集者を生業とする決意が固まっていた。お互いの気持ちに齟齬が生まれ始めた。
そんな時、同期入社の女性と特別な関係になった。2人と同時進行はできない。僕は彼女に好きな女性が出来たことを正直に告白した。新宿駅ビルの2階の喫茶店に彼女は僕より遅れて入って来た。雨が降っていた。白のTシャツに薄緑のカーディガン。黄色のスカートと緑のレインコート。その時の彼女の服装を今でも僕ははっきりと覚えている。彼女は声を上げて泣き、僕は耐えられずに1人で先に店を出た。後で考えると人生で1番後悔する瞬間だった。若さとは愚かで残酷だ。僕は多分、生涯で最も純粋に愛した女性をその時に失った。
1988年8月20日、僕は浜名湖で行われた浜田省吾の屋外コンサート会場にいた。夕闇の中に彼女もいた。凍りついたように一瞬目が合い、彼女は闇に紛れた。その瞬間、浜田省吾が「19のままさ」を歌い始めた。
「いつまでも忘れない 今でも目をこうして閉じれば19のままさ
でも僕等 もう二度と あの日のきらめきこの腕に取り戻せない」
最後は清水で死にたいと思っている。初恋の浜のきらめきを僕は取り戻すことができるだろうか?ikutama 削除されたユーザー削除されたユーザー 30年以上前、僕は不遜な若者だった。月刊「カドカワ」に書き下ろした小説を直す、直さないで、当時の編集長だった見城徹とやりあって以来、ずっと、交流は途絶えていた。別の世界で生きながら、次々にベストセラーを生む見城徹を羨ましく思い、憧れ、尊敬し、30年も前の自分の不明を恥じていた。なぜ、あの時、小説を直す、直さないというぶつかり稽古を最後までやり抜かなかったのだろう?ひょんなことから、見城徹の舎弟になれた。僕たちが尊敬する人が同じだったので、その子分として、見城徹が兄貴になったのだ。親しくなればなるほど、人間的な魅力に引き込まれた。圧倒的な努力とはこういうことを言うのか?毎日、寝る前に、一日を振り返り、自己嫌悪に苛まれる繊細さ。どんなトラブルも正面突破しかないと言い切る覚悟。義理と人情と恩返しを信条に生きる愚直なまっすぐさ。「編集者という病い」(太田出版)を読んで、僕は泣いた。圧倒的な努力って大変だ。でも、圧倒的な努力って美しい。
夢がないとか、やりたいことが見つからないとか、努力が報われないと嘆く若者たちに、見城徹の魂を教えたいと思った。それが、AKB48の「ここがロドスだ、ここで跳べ!」の歌詞だ。
Special Thanksで見城徹の名前をクレジットさせていただこうと思ったが、「秋元、そういうのは恥ずかしいよ」と言われそうだったのでやめた。見城徹とはそういう美学の男だ。毎日、熱狂しなければ生きている価値がないと教えてくれる。熱狂することは、どんなにつらく、悲しく、体力を使うことでも…。ikutama 見城徹見城徹 人間は生まれた瞬間から必ず死ぬ運命にある。
人は死ぬと解っていて何故、生きるのか?
今、外苑通りを車で走っている。明日死ぬと決まっているならば、外の景色は切ないほど愛おしく見えるだろう。諸行無常。生者必滅。今日一日をどれくらい覚悟して生きられるかどうか?目を瞑る。[豊饒の海]の最終巻「天人五衰」を書き終えて45歳で切腹して果てた三島由紀夫を想う。
益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて今日の初霜
散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐
三島由紀夫は二首の辞世を残した。生きるということは死ぬということだ。その覚悟。その虚無。
人は誰もやがて荒野の風になる。