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見城徹

「岩見つかさ」さんは今はどうしているだろう? 中学1年の時に同じクラスになり、その姿に強い衝撃を受けて、ずっと憧れていた。高校は彼女は清水東高、僕は清水南高だった。25歳の時に再会し、27歳くらいまで時たま2人で食事をした。僕は信じられないくらいガキで、彼女は成熟した大人の女性だった。僕はどうすれば良かったのか今でも解らない。あることをきっかけに何となく連絡を取ることもなくなり、それっきりだ。 死ぬまでに一度は会って、あの頃のことを話してみたい。

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見城徹のトーク
トーク情報
  • 見城徹
    見城徹見城徹

    ↑ ううっ。泣ける。騙されたと思って観て欲しい。こんなに瑞々しくて、しかも人生を感じさせる映画はあまりない。クレジットで最後に上がって来る[脚本・監督 佐々部清]。
    佐々部清監督に献杯!

  • 見城徹
    てんあつてんあつ

    ↑2020年3、4月~見城さんの過去の
    ご投稿より。

    今日の見城さんの過去トークからのリトークは以上になります。
    おはようございます。

  • 見城徹
    てんあつてんあつ

    仰る通りです。
    認めたくないと思いつつも、認めざるを得ないほど負け犬です。死ぬまで自分との戦いで。
    死ぬ時もきっと、負け犬の遠吠えをしながら。

    好いタイトルですね、本当に。
    若い時からそれに気づけていれば、間違いないですもん。

  • 見城徹
    見城徹

    今日も僕は負け犬だ。21歳の時、それまでの生き方を明確に変更した。目指していたものから逃げた。「負け犬」の烙印を自分で押した。それを押した上で挑んだ現実社会。敗者の凱旋をするつもりだった。しかし、現実社会はそんなおセンチなものではなかった。立ちはだかる壁はいつも高かった。圧倒的努力をした。結果も叩き出した。壁を何度となく乗り越えた。それでも毎日、敗北感に打ちのめされる。自己嫌悪で一杯になる。73歳。
    僕は[今日も明日も負け犬]だ。

  • 見城徹
    見城徹

    昨夜の会食は感慨深かった。何かと何かがクロスした。何かで胸が満たされた。何かに辿り着いた瞬間だった。
    井伏鱒二が訳した晩唐の詩人・于武陵の漢詩[勧酒]の一節「花に嵐のたとえもあるぞ。サヨナラだけが人生だ」が全身に染み渡った。       
     
     勧君金屈巵        
     満酌不須辞        
     花発多風雨        
     人生足別離